Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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大いなる錯覚
 第1856回 「確かなものとは」 にして、第1857回 「存在の時めき〜刹那と連続」 にして、その論考の根底にあるものは 「線形時間を廃棄」 することで得られた 「時は流れず」 という時間概念である。 有史以来、人類が確固として信じてきた 「時は流れる」 という時間概念を否定することには大いなる 「意識跳躍」 を必要とする。 私が用いた意識跳躍の論拠とは以下のようなものであった。
 線形時間とは、時間が 「過去→現在→未来」 と連続して流れるという時間概念である。 私がこの線形時間を廃棄した理由は、均質な時間が不連続で異質な 「記憶としての過去(意識世界)」→「実在としての現在(物質世界)」→「想像としての未来(意識世界)」 を貫いて連続して流れるとする動向を相当な妥当性をもって納得することができなかったからに他ならない。 現在は運動をともなった物質で構成された実在世界(実の世界)であって、意識で構成された仮想世界(虚の世界)とは本質的に異なっている。 均質な時間が異質な 「虚の世界」 と 「実の世界」 を貫いて流れていることなど如何なる妥当性をもって理解したらよいのであろう。 考え得る妥当性は、過去を 「過去の実在」 と考え、現在を 「今の今の実在」 と考え、未来を 「未来の実在」 と考え、かくなる実在を貫いて時間が流れているとする考えであろうが、現在の実在はともかく、過去の実在や未来の実在などいったい 「どこに存在する」 というのであろう。 確定することができない。
 物理学の証明はもっぱら 「数学的論証」 を基とするが、上記した証明はもっぱら 「哲学的論証」 の妥当性をもって 「了」 としたものに過ぎない。 だが私にとっては 「それで充分」 なのである。 それよりも得られた真実が 「いかなる世界を拓くのか」 がより重要なのである。 「シンプルな宇宙」 の宇宙モデルはそうして拓かれた世界なのである。
 おそらく 「時は流れる」 とする時間概念は間違いと言わないまでも 「大いなる錯覚」 であろう。 その錯覚からの覚醒には 「応分の意識跳躍」 を必要とするが、その跳躍は 「神を信じる如く」 に甚だしく容易であるとともに、また甚だしく難しい。

2024.01.31


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