この歌がヒットした頃は何気なくメロディだけ聴いていたせいか気づくことがなかったが、今聴くと、ことを得たように魅了される台詞である。
それは時空間の秘密に触れているようで 「物理学」 のようであり、人間心理の秘密に触れているようで 「心理学」 のようでもある。
その説くところ、なまじの学者が唱える学説以上に真理に肉薄する。 この台詞が何度も出てくることからして、それはこの歌の主調であり、言うなれば歌唱のサビの部分でもあろう。
物語の主人公は時を流れるものという無機質なものとしてとらえるのではなく、ふと訪れる訪問者のごとく擬人化し、辛く淋しい胸の内を語る。
時という訪問者は、日々 「未来」 であるあしたを連れて来てはくれるものの、「過去」 で迷子になってしまった私には、どこにいるのか、どこに向かえばいいのかわからないまま、「現在」
に立ち尽くしているというのである。 過去、現在、未来の時空の不可思議を、じつに明確にとらえた啓示である。 だがこの主人公ならずとも、我々のほとんどが同様に迷子なのである。
なぜなら時などという正体不明なものの存在を誰一人として解明していないし、流れている時など見た者もまた誰一人としていないのである。
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