以下の記載は思いのままに年表から抽出した歴史作家、司馬遼太郎の作品名である。それはまた司馬遼太郎がたどった「時空の旅」の風景でもある。時空の旅については「人生は旅である〜時空の細道をゆく(第918回)」で書いたが、司馬遼太郎のそれは空間が歴史空間であり、時間が歴史時間であることが特徴的である。
|
〜梟の城〜兜率天の巡礼〜風の武士〜風神の門〜竜馬がゆく〜夏草の賦〜おれは権現〜燃えよ剣〜鬼謀の人〜酔って候〜功名が辻〜尻啖え孫市〜北斗の人〜世に棲む日日〜城塞〜花神〜街道をゆく〜翔ぶが如く〜歳月〜峠〜坂の上の雲〜故郷忘れじがたく候〜馬上少年過ぐ〜空海の風景〜胡蝶の夢〜箱根の坂〜菜の花の沖〜この国のかたち〜
|
あえて登場する人物名を書かなくとも、その作品名が誰の物語かを想起させてくれる。さらにはたどった人生や人間像までが彷彿として浮かんでくる。その点で司馬遼太郎は文芸作家でもあったということができる。あるいは「名は体を表す」を画して求めたとすれば、並々ならぬ洞察力と直感力を秘めた「名コピーライター」であったのかもしれない。
|
同じことは脚本家、倉本聰にも感じる〜前略おふくろ様〜北の国から〜優しい時間(第879回)〜風のガーデン(第878回)〜等々の作品名があるが、私が最もそれを感じた作品名は〜昨日、悲別で(第816回)〜である。
|
|