第426回 「人生と時空間(2004.4.21)」の中で私は以下のように書いた。
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人生は旅である。 だが私は「空間を旅している」のだろうか ・・? それとも「時間を旅している」のだろうか ・・? 空間だとすれば、私の人生の旅とは、私が歩き回った地球上の「行動面積」であるし、時間だとすれば、私が費やした五十数年間の「経過歳月」である。 人生の旅が歩き回った面積と、費やした歳月から構成されているとするならば、人生とは時空間そのものである。
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今ここでさらに付け加えるならば、その旅は空間と時間が同様に進行するわけではなく、年齢が進むにつれて空間の旅から時間の旅に移行していく。 換言すれば、若年では多く時間を忘れて空間の旅に奔走し、老年では多く空間を忘れて時間の旅に奔走する。 どちらの旅が楽しいかは人それぞれであってにわかに断定することはできない。
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また第202回 「時間と空間(2002.9.27)」の中では時間と空間の本質を私は以下のように書いた。
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時間を追求すると「始まりと終わり」に行き着き、空間を追求すると「在ると無い」に行き着く。
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これらを還元して結言すれば「人生とは、始まりと終わりで構成された時間と、在る無しで構成された空間で彩なされた
奥の細道 をたどりゆく旅」ということになる。
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