Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
Turn

優しい時間
 脚本家、倉本聰は前掲の「風のガーデン」を作る4年程前に「優しい時間」(2005年1月13日〜3月24日、毎木曜日に放送)というドラマを手がけている。「風のガーデン」と同じく北海道富良野が舞台で、21年間続いた国民的ドラマ「北の国から」から15年ぶりに書いたものである。
 物語はニューヨークに単身赴任していたエリート商社マン、涌井勇吉(寺尾聰)が、最愛の妻、めぐみ(大竹しのぶ)を事故で失ったのをきっかけに会社を辞め富良野に移住して喫茶店「森の時計」を開いたところから始まる。事故は暴走族まがいであった息子の拓郎(二宮和也)の運転ミスが原因であったことから父子の関係は断絶し音信不通となっている。だが拓郎は富良野からほど近い美瑛で陶芸を学んでいた。ドラマは父子の心の雪解けを北海道の雄大な大自然を背景に描かれていく。
 ドラマは観ていただくとして本題は以下のことである。
 物語の舞台である喫茶店「森の時計」はこの撮影のために建てられたものであり、倉本聰自身が自ら設計したものである。優しい時間はこの喫茶店の中で静かに流れている。倉本聰は「10年周期の時計」と題して、「優しい時間」に込められたテーマを以下のように述べている。
 喫茶店「森の時計」には 「森の時計はゆっくり時を刻む」 という壁掛けが架かっていますが、実はその後 「だけど、人間の時間はどんどん速くなる」 と続くんです。 以前、時計メーカーの方に「10年で1回りする時計を作ってほしい」とお願いしたとき、最初は受けて頂いたんですが、結局断られてしまいました。 担当者いわく、今の技術は「速く」することや「正確」にすることには対応できるけど、時計を「遅く」することはできないと言うんですよね ・・・ 中略 ・・・ 僕は「時計」と「時間」はまったく違うものだと実感したんです。 「時計」は単に約束ごとのために存在するもので、「時間」そのものではないと。 昔の人の生活は自然の時間に合わせたものだったけど、いつの間にかそういう生活が失われてしまったんでしょうね。 そんな思いをこの言葉に込めたんです。
 かって私は「速度考(第603回)」で以下のように書いた。
 アインシュタインの相対性理論によれば、速度が光速度(30万Km/s)に近づくに従い、時間はゆっくり流れ、光速度となれば時間は停止し、その光速度を越えると時間は逆に(つまり、現在から過去へ)流れることになる。 しかし、これはある限度以上の速度の場合であって、私には日常での速度(例えば飛行機の速度、新幹線の速度、自動車の速度等々)では、その理論とは逆に、速度が速くなればなるほど、時間は速く流れるように感じられる。 日常速度では速度を上げれば上げるほど、視界は狭くなり、周りからは音が消えていく。 新幹線の車窓からは、昼寝をしているお父さんの姿や、蝉の声をとらえることはできないが、鈍行列車の車窓からは、それのみか洗濯をしているお母さんの姿や、谷川のせせらぎまで、とらえることができる。 また車で、とある街を通過しても、その街の臭いや、笑い声をとらえることはできないが、ゆっくり歩けば、その街の臭いや、笑い声はおろか、路傍に横たわる犬猫の顔から、漂う空気まで、とらえることができる。 現代人は速度を上げることで、多くの風景、多くの声、多くの空気、多くの ・・・ を失ってしまったのである。 (2005.8.31)

2015.07.11


copyright © Squarenet