生産財と消費財。 かっての社会は物が不足していたため経済の根幹がその物を生産する生産財(生産設備等)に重点が置かれていた。
だがその物の不足も解消された現在では生産財よりも人間生活が消費する消費財へと経済の根幹が移行しつつある。 |
消費財とは消費者が自分または家族が、消費あるいは使用する目的で、購入する製品のことである。
経済の根幹が生産財から消費財に移行するにつれて経済指標の重点もまた変化する。 現在の政治経済が論じる多くの指標はその消費の動向をとらえたものである。
換言すれば、いかに消費が拡大しているかの指標である。 そのためには今年の夏が昨年とくらべて暑いか涼しいかが大きな関心事となり、消費税を
8%から 10%へとアップさせるか否かが時の総理大臣の死活を制する最重要課題となる。 |
かって生産財が経済の根幹を占めその拡大が叫ばれていた頃は
「消費は美徳」 だと使い捨ての大量消費が喧伝された。 消費は生産財の拡大を支えるためのものであって、構図は生産財が主で消費財が従であった。
経済の根幹が消費財の拡大へと移行すれば、構図は逆転して消費財が主で生産財が従とならざるを得ない。 |
つまり、生産財は消費財の拡大を支えるものへと転位する。
あるいはやがて 「生産は美徳」 だと使い捨ての大量生産が喧伝される日が訪れるかもしれない。 Pairpole
宇宙モデル の帰結である 「禍福はあざなえる縄」 という 「陰陽2重螺旋構造」 から考えれば事態はそのように変化することになる。 |
生産財から消費財への移行における 「生産財における使い捨ての大量生産」
とは何を意味しているのか? |
消費財における使い捨ての大量消費では 「こわれた消費財は修理するより新品を買ったほうがいい」
という価値観であった。 これを生産財における使い捨ての大量生産に等価変換すれば 「こわれた生産財は修理するより新品を買ったほうがいい」
という価値観に変換される。 言うなれば 「生産財の大量消費」 である。 では生産財の大量消費が消費財の拡大になるとはいかなることか? |
進みゆく時代の兆候から考えれば、生産財の大量消費とは、あらゆる生産財を
「人工知能ロボット」 に置きかえていくことが想起される。 確かにこれによって消費財の価格が低下し消費拡大がもたらされそうではあるが
「事はそう単純」 なことではない。 |
かっての消費財の大量消費による生産財の拡大には人間の労働が作用していたが、これからの生産財の大量消費による消費財の拡大は人工知能ロボットによって行われるのであって人間の労働は作用しない。
人間の労働が作用しない経済とはいったい 「誰のための経済」 なのであろうか? |
人間の労働が作用しない経済とはいったい 「誰のための経済」
なのか? 人間でないとすればではいったいそれは 「何者のための経済」 なのか? |
生産財の大量消費が人工知能ロボットによってなされるとすれば、その何者とは
「人工知能ロボット」 ということになる。 そう 「人工知能ロボットのための経済」 である。 先日知ったことであるが、どうやら国は働いている人工知能ロボットの台数に応じてその使用者から税金をとろうと考えているようである。
それは固定資産税というよりも、人としての労働者が収める住民税や所得税の課税方式に近いものであるらしい。 まさに人間がロボットに置き換わったかのようである。
そのうちロボットが身にまとう 「防護カバー」 が労働者がまとう作業服と同様に必要経費として申告されることにでもなろう。 |
かくなる展開の究極において、労働を失った人間は、もはや物体としての存在価値を失い、デジタルデータとしての
「バーチャル世界の住人」 に変質してしまうのかもしれない。 それはまさに、かって大ヒットしたキアヌ・リーブス主演のSF映画 「マトリックス」
の仮想空間世界のようである。 1999年の作品であるからもう 20年ほども時が経過している。 事態は映画で描かれた世界を超えてさらに進んでいるかもしれない。
そうなると事は経済構造などという旧来の発想ではとらえることはできない。 あるいはそれはもはや 「宇宙物理学」 の範疇になるのかもしれない。 |
ここまで経済構造の変質を 「生産財から消費財への移行」
を視点として思考してきたが、現象はさまざまな時空断面に顕れている。 |
その断面風景は 第815回
「資本主義の終焉 」、第968回
「人間失格 」、第1260回 「自由主義の終焉」、第1261回 「人工知能ロボットに解雇される時代」 ・・ 等々で描いてきたものである。
だがこれらはどれも経済学的な視点から思考されたものである。 |
これらの視点からは結果として混迷する未来社会の様相を予測することはできなかった。
ここは 「マトリックス」 で述べたごとく 「宇宙物理学的な視点」 から思考される 「異次元経済学」 から考えてみるのも 「一興」
かもしれない。 |
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