つまり、刹那的デジタル空間とは高速度カメラ
による宇宙連続撮影の1枚1枚の写真の世界であり、連続的アナログ空間とはその1枚1枚の写真が積層された世界である。我々の人生とはひも状の波動媒質(これを人間ひもと呼ぶ)に添って伝わる波動運動のひとつの波の進行である。波動媒質である人間ひもの出発点では次々と波は生起
し、波動媒質である人間ひもの上を次々と時間の矢の方向に伝達され、人間ひもの終着点では伝達されてきた波が次々と消滅している。この波の進行が人間意識の進行である。我々の意識は永遠に生まれ続け、生き続け、死に続けている。つまり、この人間
ひもの上を進行するひとつ波(意識波)の進行がひとつの人生を構成している。通 常、我々は人間ひもの出発点で生起されたひとつの波(意識波)の発生を「誕生」と呼び、終着点に至ったひとつの波(意識波)の消滅を「臨終」と呼んでいる。しかし、波動媒質である人間ひも自体が発生したり消滅するわけではない。この宇宙にいったん現れた物質ひもは永遠に存在し続け、この宇宙に現れない物質ひもは永遠に現れないのである。つまり、物質ひもは宇宙に存在しているのである。
哲学者ニーチェは「永遠回帰」という思想を提起した。時間は環状を成し、未来に向かうと過去に至り、過去に向かうと未来に至るという考えである。我々は何度も何度も同じ人生を繰り返すというのである。ニーチェはこの思考を哲学的な自己人生の克己の構造として着想し追求したのである。悲喜劇が一体になった自己人生の繰り返
しを受け入れることが真の自己自立への道(超人への道)であるとしたのである。私の追求した宇宙構造が別の道をたどりニーチェに似た思考に至ったのは大変に興味深い点である。