未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
人工知能考〜コンピュータは人間を超えられるのか?
長い試行錯誤を経てもいまだに解決できない問題に「他我問題」というものがある。他我問題とは「他人の心をいかにしてわれわれは知りうるか」という哲学的問題である。例えば、友人と赤の交通信号を見ているとしよう。そのとき、私と友人の赤の感覚は同じだろうか? はたまた違うだろうか? あるいは、友人はそもそも何かの色を感じているのだろうか? それを直接にテストする方法はありえない。なぜなら私は友人ではないからである。
それと似た哲学的問題に「予定調和」というものがある。こちらはドイツの哲学者ライプニッツの形而上学的根本原理のひとつで、例えば、友人Aが語った言葉を、友人Bが理解するのは、AとBの2つのモナド(実体概念)におけるそれぞれの内的変化があらかじめ神によってしかるべく定められているからであると説明される。これでは何を言っているのかわからない。
さらなる説明は「唯心論的物理学(
第281回
)」、「予定調和の構造(
第282回
)」、「実在からの脱皮(
第285回
)」、「 神の目と人の目(
第286回
)」、「私とコンピュータ(
第288回
)」、「宇宙のありか(
第437回
)」、「厳然たる事実(
第771回
)」・・等々を参照願えれば幸いである。
ホーキング博士が「人工知能」の開発に警告を発していることは前回(
第852回
)で述べた。ではコンピュータは以上の2つの問題(他我問題、予定調和)を突破できるのであろうか。分かり易く言えば「コンピュータは心をもつことができるのか」ということである。
人間の心の裏側には個々人が抱く「自由意思」が横たわっている。コンピュータはこの自由意思をいかに理解するのであろう。アメリカの科学ジャーナリスト、ジョン・ホーガンは著書「科学の終焉」の中で、人間の科学は「あなたが意識的であることがどうやって私にわかるのかという問題」を解決しないだろうし、できないだろうと述べたあと、「もっとも、それを解決する方法が “ただひとつ” あるかもしれない。それは、すべての心を “ひとつの心” にすることだ。」と皮肉混じりに結論している。
確かに自由意思を排し、すべての心をひとつにすれば、科学的還元論で突破することは容易に可能であろう。だがそれでは高性能なロボットが誕生するだけである。
そうとしても取り巻くコンピュータ社会の現状を観察するとき、人間そのものの心が自由意思を捨てて単一的なロボットの心に近づいているように見えるのはどうしたことであろう? これでは「ロボットが人間化」する前に「人間がロボット化」してしまいかねない。おそらくホーキング博士の警告の根底には、かくなる「人間への危機感」が横たわっているのかもしれない。
私はかって「認識と情意(
第243回
)」の中で、現代社会の代表は認識科学の粋を結集した「コンピュータ」であろうが、コンピュータに「私が好きか?」と聞いてみても、「何も」答えてはくれない。と結んでいる。
2015.03.14
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