現代人は古代人に比べ、認識の量は膨大に増加したが、情意の量ははるかに減少した。
哲学者、ニーチェは認識的なものを「アポロン的」、情意的なものを「ディオニュソス的」というギリシャ神の名をもって分類した。
アポロン的とは形而下的であり、言語的であり、ディオニュソス的とは形而上的であり、抽象的である。
私はこの分類を日本の歴史時代の名をかりて、認識的なものを「弥生的」と表現し、情意的なものを「縄文的」と表現している。
弥生的とは機能的であり、縄文的とは呪術的である。
これらの対比を数学的概念で表現すると、アポロン的、弥生的とは「デジタル的」であり、ディオニュソス的、縄文的とは「アナログ的」である。
これらの分類で近代人と古代人を区分けすると以下の対比となる。
近代人:アポロン的、弥生的、デジタル的、形而下的、言語的、機能的
古代人:ディオニュソス的、縄文的、アナログ的、形而上的、抽象的、呪術的
この対比を簡略に表現すれば、近代人は「言葉が多く、思いが浅く」、古代人は「思いが深く、言葉が少ない」となる。
現代社会(アポロン的、弥生的、デジタル的、形而下的、言語的、機能的)の代表は認識科学の粋を結集した「コンピュータ」であろうが、コンピュータに「私が好きか?」と聞いてみても、「何も」答えてはくれない。
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