未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
宇宙へのアプローチ(4)〜線か面か?
宇宙へのアプローチ方法の異なりは、「線か面か?」という哲学的な課題を提起する。それはまた人生へのアプローチ方法の異なりでもある。
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第489回
線の旅人と面の旅人」では、線の旅人とは「代数学で旅する者」であるとし、代数学は「数式を考える」ことを基とするため「緻密で精確な解を得ることができる利点」はあるものの、「問題を線としてとらえるため」、途中の第n方程式を間違えると、以降の解はすべて間違いとなり、最終解がとんでもなく見当違いのものになる危険性をはらんでいるとした。
他方、面の旅人とは「幾何学で旅する者」であるとし、幾何学は「図形を眺める」ことを基とするため「緻密で精確な解を得ることができないという欠点」はあるものの、「問題を面としてとらえるため」最終解がとんでもなく見当違いとなる危険性からはまぬがれるとした。
論じてきた区分で言えば、線の旅人とは「微分的」、「刹那的」、「デジタル的」・・であり、面の旅人とは「積分的」、「連続的」、「アナログ的」・・ということになる。
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第490回
野に遊ぶ」では、線の旅人は点と点の間に引かれた線の上を行く「1次元世界の旅人」であるため、旅の自由度はその線上を行くか、戻るかの「2通り」しか許されないが、面の旅人は面の上を行く「2次元世界の旅人」であるため、旅の自由度はその面上360度方向「無限に」許されるとした。
さらには、線の旅とは、しゃにむに街道を急ぐ「目的達成に向けた旅」であり、面の旅とは、街道をはずれ、気ままに回遊する「自己充実に向けた旅」であるとし、物質的利便性が満たされたこれからは、街道をはずれ「野に遊ぶ」面の旅人の姿が、地球表面のそこかしこに散見されることになるであろうと予測している。
古人曰く「この世は浮き世である」と、ここまで宇宙のアプローチ方法における視点の異なりをさまざま眺めてきたが「浮き世」という言葉以上に、宇宙の核心をとらえた直観を、私は他に見つけだすことができない。浮き世とは万物事象が織りなす「曼荼羅の世界」である。我々がその曼陀羅世界の「どこに生き」、「どこに遊ぶ」のか・・それは、みなさん「ひとり」、「ひとり」に与えられた「自由な人生」の賜なのである。
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第831回
信州つれづれ紀行」では、自らをひとつの量子になぞらえて行った「実験的経路積分紀行」のあらましが述べられている。最先端物理学の思考実験と宇宙の片隅で行われた体験的実験が、いかなる経路を経て、いかなる宇宙風景に到達するのか・・・時空の旅は果てることがない。
2015.01.20
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