未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
信州つれづれ紀行〜実験的経路積分紀行
第705回 「どこにもいて、どこにもいない」 で私は以下のように書いた。
量子の世界では物質は波動性と粒子性という2重の性質をもっている。 但し、波動性を観測したとたんに粒子性は消え、粒子性を観測したとたんに波動性は消えてしまう。 同時に観測することはできない。 この状況を現実的に表現すると ・・ 私という物質は観測されるまでは宇宙全域に波動のごとく広がっていて、どこにもいて、かつまたどこにもいない。 しかし、ひとたび宇宙の局所で観測されるやいなや、波動性は消滅し(あらゆる可能性は消滅し)、粒子性としての私はその局所にしか存在することができない ・・ と表現される。
量子の2重性を表現するもうひとつの方法は 「量子はあらゆる可能性を事前に試みる」 というものである。 たとえば台風の進路は進行方向に開いた扇形の確率で示されるが、我々が観測する進路はその中のたったひとつの進路のみである。 だが台風自身はその扇形の進路すべてをすでに事前に試みているのである。 この場合、扇形で示された確率的な進路が波動性であり、観測されたひとつの進路が粒子性にあたる。
ここ5年ほど、私は研究開発している映像技術のために故郷の信州各地を巡り歩いてきた。 つまり、私は波動のごとく信州全域に広がっていて、どこにもいて、かつまたどこにもいない状態であった。 「信州どこでもウィンドウ映像紀行」 には、粒子としての私の局所における位置プロットデータが表示されている。
この状況を物理学的な解釈をもって解説すると、私はこの信州紀行を始める時点で、すでに 「あらゆる可能なルートを試し終わっていた」 のであって、私の 「5年間の粒子としての位置プロットデータの分布」 とは、始める時点ですでに試みられていた波動性の確率分布であったというものである。 量子は一瞬の刹那に時空を超えて 「あらゆる可能性」 を把握し、体験してしまうのである。
上記から導かれる帰結は、人の一生とは、この世に生まれ出た時点において、確率的に可能なあらゆる人生がすでに試みられていて、「私の人生とは1個の粒子として生涯をかけてその波動性確率分布をトレースするにすぎない」 という運命論に近づいていく。
以上の記述は前掲した
第830回 「平行宇宙〜パラレルワールド」
で述べたリチャード・ファインマンの 「歴史総和法」 に基づいて思考されたものである。
今回、信州の津々浦々に記録された1個の量子としての私の確率分布を、「
信州つれづれ紀行
」 と改題して新たに再編集した。 物理学的に題すれば 「実験的経路積分紀行」 とでもなろうか。
「知的冒険エッセイ」 は意識世界の時空の旅を描いたものであり、「信州つれづれ紀行」 は物質世界(現実世界)の時空の旅を描いたものである。 両者は対極を成す 「Pairpole(ペアポール)」 であるとともに、パラレルワールドを構成している。 そのどちらが表で裏であるのかはわからない。 それは1枚の紙の裏表が判然としないのと同じである。
ともあれ、遥かな時空の旅人として、いつかどこかで、身の周りに潜在する不可思議な未知なる宇宙の真象、その素顔の断片らしきものにでもめぐり逢うことができれば、幸甚これに勝るものはない。
2014.10.31
時空のランダム選択
実験的経路積分である不可思議な 「時空のめぐり逢い」 を体感することを画して宇宙の物語と題した 「今日のワンダーランド」 と風景の物語と題した 「今日のビジョンウィンドウ」 で構成された 「ランダム選択エッセイ」 を制作しました。 それはまた 「時空のランダム選択」 の体験でもあります。 いかなる時空に遊ぶかはみなさんひとりひとりに与えられた自由な人生の賜です。
宇宙の物語
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時空のランダム選択
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風景の物語
2019.04.12
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