未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知のワンダーランドをゆく〜知的冒険エッセイから
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絶対的真実と相対的真実
絶対的真実はこの世のあらゆるものから独立し、あらゆるものに支配されず、あらゆるものに束縛されない。相対的真実はこの世のあらゆるものに従属し、あらゆるものに支配され、あらゆるものに束縛される。 絶対的真実がこの世のあらゆるものから独立し、支配されず、束縛されないところから考えれば、その真実は他者評価を基準として構築されることはない。
絶対的真実は自己自身の頭脳から発する思惟と、この世の万物事象との、掛け値なしの「1対1」の対応から生まれるものであろう。 従ってその真実は、自己自身が「納得」するものであるか否かが、決定的に重要であり、その真実を社会の他者が納得するか否かは、さして重要ではない。それは従属的事項である。
以上の考察から考えれば、現代人が真実と呼ぶものは、そのほとんどが相対的真実である。なぜなら、その真実と称するものが、この世のあらゆるものに従属し、支配され、束縛されているからに他ならない。その真実は社会の思惑におもねり、他者評価や批判により、いとたやすく右に左に揺らぐものである。 換言すれば、その真実とは、社会や他者にとって都合の良い「見解」であり、都合の良い「正当性」でしかないのである。
相対的真実は、社会や他者の評価により、軽々と否定されることにより、常に「虚偽」の名札が貼られる運命にある。
現代人は、ご都合主義的相対性に支配される実生活に疲弊し、これらの相対的真実にあきあきしてきている。それよりも、自分自身がこころから納得できる、絶対的真実を希求し始めたようである。
文 /
柳沢 健
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