Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知のワンダーランドをゆく〜知的冒険エッセイから
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連続宇宙から刹那宇宙へ
 ここまでくると、我々がこの世で確固たるものとして信じている原因と結果から構成される「時間的な因果律認識」、あれとこれから構成された「空間的な選別認識」のふたつの常識的な認識は非常に「たよりない」ものに観えてくる。
 我々が時間軸に添って構成されている連続宇宙(空間を時間で積分した宇宙 / 一般に時空間と呼ばれる)のみを、念頭において生活をしていることからすれば、このふたつの常識的な認識が、我々のこの世での自由を拘束する絶対的な制約条件であると考えてしまうのは、いたしかたがない帰結であろう。 だが、時間軸と垂直に構成されている刹那宇宙(空間を時間で微分した宇宙 / 未だ呼び名がない)では、これらの制約条件が存在しない。
 刹那宇宙では、無から有への発生と、有から無への消滅が、間断なく繰り返され、有と無が混合したエマルジョンとなり、あらゆる可能性が「ゆらぎの状態」にある。
 刹那宇宙では、生と死が混在し、創造と破壊が混在する。あらゆる生命は刹那に生まれて刹那に死に、あらゆる存在は刹那に創造されて刹那に破壊される。
 我々現代人は時間と空間で構成された連続宇宙を唯一絶対の宇宙であるとし、他の宇宙の存在を信じようとはしない。連続宇宙の基本である時間的な因果律認識から導かれた科学の方法論が構築した現代社会のあまりの成功に酔いしれているかのようである。 しかしながら昨今の現代社会の様相は、この連続宇宙の中で、立ち往生しているように観える。そしてその社会で生活する人間意識もまた、自由意思を喪失し、生の躍動感が枯渇しているように観える。
 そろそろ我々は、連続宇宙を唯一絶対とする宇宙認識から脱皮し、刹那宇宙を開拓する新たな方法論を確立しなければならない地点に立ち至ったのではなかろうか。 そして、もしもその新たな方法論の開拓を望まないのであれば、我々は「時間と空間の牢獄」の中で、一生涯、奴隷として生きることを甘受しなければならないのである。
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