空海の人生における、無への回帰は「定」に入ることによって成された。定に入るとは、生きながら仏に成ることを言う。彼は、高野山、奥の院で徐々に穀物を断ち、自身の肉体を消滅させていった。弟子たちは、泣きながら翻意を願ったが、彼は敢然として、無に帰って行ったのである。自身の意志で、誰も連れずに、ひとり黄泉の国へ旅立つことは、我々凡人からすれば、強烈な寂寥感であろうと考えてしまうが、彼にしてみれば、無の世界こそが、自身の「ふるさと」であったはずであり、歓喜と、あこがれと、安堵の思いに満たされての旅立ちではなかったかと推量される。
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