思考をさらに進めると、我々が日常的に使う「例え話」もまた等価原理の上に成立するものであることが理解される。ある状況(場A)を説明するのに異なった状況(場B)での話を用いるのが例え話であるが、もし等価原理が成立していなければ有効性は保証されない。我々はその有効性を暗黙裏に認めているのである。私が高校生の頃、テレビでとある学者が湯川秀樹博士の中間子理論を中国の詩人、李白であったか杜甫であったか忘れてしまったが、その唐詩の内容をもって説明していたことを感動をもって聴いたことがある。「物理学の世界」と「文学の世界」が同じ言葉を使って説明できることに不可思議な世界を垣間見た気がしたのである。かく省みれば、私の思索の原点とは、あるいはこのあたりにあったのかもしれない。私が抽象概念を考えるときによく例え話を思い描き、同様に抽象概念を説明するときによく例え話を使うのはそのせいかもしれない。
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