Linear 信州ベスト紀行セレクション
アジサイ園をゆく(6)
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深妙寺のアジサイ / 長野県伊那市西春近小出
あじさいと石臼と犬房丸
 感応山深妙寺は平安時代に密教寺院として開創され、伊那春近領に流罪になった工藤犬房丸祐時が当山に帰依して本堂を再建したと伝えられている古刹である。 犬房丸については2016.年3月に訪れた 第423回 「神明社荒神社合殿 狐島にて」 でとりあげている。
 深妙寺は犬房丸伝説の他に2つの顔がある。 ひとつは信州最大の2500株200種類のあじさいに囲まれたあじさい寺としての顔、もうひとつは1800個からなる石臼を敷石に使った日本一の石臼庭園の寺としての顔である。
 今回はあじさいが梅雨時の6月下旬から7月中旬までが見頃と聞いて訪れた。 その日の寺域は見頃と聞いて訪れた 「かって知ったる人々」 で賑わっていた。 山門まえにある蓮池ではちょうど見頃の純白の蓮がその大輪の花頭を渡る風に揺らしている。 境内にあがり石臼庭園をながめ、拝殿した後、本堂の裏手にまわると、無数のあじさいが百花繚乱と所狭しに咲き乱れている。 その光景は県下随一を誇る 「あじさい寺」 としての面目躍如たる風韻を漂わせていた。
 以下はそのあじさいに囲まれるようにしてたたずんでいた犬房丸とその父の供養塔に立つ案内板の記載である。
犬房丸ゆかりの寺
 源頼朝の家臣工藤祐經は、建久4年(1193)曾我兄弟に討たれました。 祐經の子犬房丸は、曾我五郎の顔を扇で打ってしまいます。 その罪で、すでに工藤氏の所領がある伊那春近領に流されました。 若干9歳の犬房丸は同族で、小出の地頭である、工藤氏に保護される身となりました。 犬房丸は、その頃密教を宗旨とする当山に帰依されます。 成長された犬房丸は、地頭である工藤氏の外護を戴き当山本堂を再建されました。 住持は、大檀那犬房丸祐時の赦免を願い護摩を焚き祈祷されます。 しかし、建保元年(1213)29歳で他界されました。 当山の犬房丸の位牌は放射性炭素年代測定の結果600年程前の松材に紅殻で書かれています。 位牌には 「感應院殿唐木前但州大守深圓俊光大居士」 とあります。 この位牌から、唐木氏一族が工藤氏に繋がることがわかります。 工藤氏を祖と仰ぎ 「正面に二人の俗名」 を彫った卵形の石碑が、西春近小出山本726番地(常輪寺北側)にあります。 これは、寛永8年(1631)9月、当山檀越唐木氏のご先祖により建立されたものです。 この碑が18世紀になり幾多の 「犬房丸伝説」 を生む素地になりました。 江戸初期の古碑をぜひお訪ね下さい。 当山は、不遇な犬房丸父子の永代供養を発願致しました。 富士山のすそ野にある工藤祐經の墓所から尊霊をお迎えしました。 ここに、父子のご冥福をお祈りし、この史話を末代まで伝えたいと思います。
伊那市西春近小出 感應山深妙寺
2016.07
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