Linear ベストエッセイセレクション
宇宙の消失点〜色即是空の物理学
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意識宇宙の実存性
 宇宙を存在させているのは物質とそれにともなうエネルギであることは確かなことである。 だが人間が所有する意識(精神)が宇宙の存在に不可欠であるかどうかは定かではない。 人間が存在しようがしまいが宇宙は存在するであろう。
 だが現代物理学を牽引する量子論(量子力学)ともなると俄然として宇宙の存在に意識の存在が不可欠なものとして台頭してくる。 宇宙のあらゆる胎動を記述するシュレジンガーの 「波動方程式」 における波動関数を収縮させるものは 「意識的観測」 である。 ネズミに意識があるかどうかは分からないが、ネズミが観測したからとて波動関数の収縮は起きず、しかして宇宙は発生しない。 人間的な意識的観測のみが、波動関数の収縮を引き起こして 「新たな宇宙を発生させる」 のである。 狐につままれたような話であってにわかには信じがたいが、近代物理学の根底を構成する量子論物理学とはかくこのようなものである。
 意識宇宙は人間の意識を土台として構成されている。 冒頭に掲げたように、人間が所有する意識が宇宙を存在させるに必要不可欠な存在かどうかは定かではない。 あるいはこの宇宙にとって人間は 「大いなる蛇足」 なのかもしれないし、人間が意識的に宇宙にあれこれ指図することは 「余計なお節介」 なのかもしれない。
そもそもあなたが意識的であるかどうかを私はどうして知ることができるのか?
 これは 「他我問題」 と呼ばれる 「他人の心をいかにして我々は知りうるか」 という哲学における超難問である。 しかしてその帰結は 「他人の心を直接に知る方法はありえない なぜなら私は他者ではないからである」 となる。 つまり、他者の意識を知りうる方法が存在しないのである。 同じ課題を哲学者のトーマス・ナーゲルは1974年のエッセイ 「蝙蝠(コウモリ)であるとはどんな気持ちか」 の中で 「いかに詳しく蝙蝠の生理機能について学ぼうと我々は蝙蝠になると本当にどんな感じがするかを知ることはできない」 と述べている。
 互いの意識を知る方法とて存在しないような不確かな意識を土台にして構築されている意識宇宙は物質宇宙と同様に宇宙的存在として実存しているのであろうか? あるとすれば人類は 「真理の伝道者」 であるし、ないとすれば人類は 「虚構の推進者」 である。 かかる解明を迂回させて意識宇宙はさらなる拡大路線を驀進中である。 成否は未来に託した 「大いなる賭け」 というわけである。 終局において 「意識宇宙はすべて錯覚の産物でした」 などとならないことを願うのみである。
物質宇宙の実存性
 意識宇宙の実存性では、人間の意識を土台にして構築されている意識宇宙は物質を土台にして構築されている物質宇宙と同様な 「宇宙的存在」 として実存しているのかを論考した。 しかしてその成否は 「大いなる賭け」 であるとした。
 しかし、確固たる宇宙存在であるとする物質宇宙にも不安がないわけではない。 それは 「物質宇宙に内在する宇宙の果てはどうなっているのか?」 という究極の謎が解明されていないことに帰因する。 物質世界を記述する物理学はその謎の解明を迂回して構築されている。 ビックバン宇宙論、インフレーション宇宙論、多世界宇宙解釈 ・・ 等々、さまざまな解決策が考案されてきたが、そのどれもが人間の意識から導かれた唯識論に逸している。 唯物論で構築された物質宇宙の謎を解明するのに唯識論を使うとあっては 「大いなる矛盾」 であろう。
色即是空の物理学
 以上の論考を単純な記述に還元すれば以下のように総括される。
 物質宇宙(唯物論)を追求すると意識宇宙(唯識論)に帰着し、意識宇宙(唯識論)を追求すると物質宇宙(唯物論)に帰着する。
 物質と意識は古来より 「一元論か二元論か」 で論争されてきた課題であるが、いまだ明確な回答は出されていない。 宇宙の消失点とはまた 「物質と意識の消失点」 でもある。 まさに宇宙は般若心経が教える 「色即是空 空即是色」 の世界のようである。 「あると思うとない ないと思うとある」 とは言い得て妙である。
※)意識宇宙と物質宇宙の実存性についてはベストエッセイセレクション 「唯識の消失点〜神の存在証明」、「時空の消失点〜時間も空間もない世界」 で詳述している。 参照願えれば幸いである。

2019.05.21


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