想像と現実をこの身に一体化する 「即身の極意」
は 「何も考えないこと」 にある。 「大いなる秘術」 とは、そのための工夫である。 人間は有史以来、考え続けてきた。 その結果として現代社会がかくこのように存在しているのである。
考えることは人間にとっては 「最大の武器」 であるとともに、また 「最大の凶器」 でもある。 武器は身を守るためのものであるが、凶器は自らを傷つけるためのものである。
武器であり凶器でもあるという 2面性 こそが 「考えることの特異性」 である。 しかして、その武器と凶器の狭間をいかに制御するかが
「万物の霊長」 と尊称される人間に託された天命なのである。 しかしながら現代社会の様相をつぶさに鑑みれば 「考えることの凶器」
が 「考えることの武器」 を凌駕しつつあることが観えてくる。 これを放置すれば、やがては人間自らが自らを滅ぼしてしまうであろう。
それを予知したがゆえに空海は考えることを停止させ 「仏として生きる」 という即身への道を決断したのであろう。 「止観」 とはそのための工夫である。
「考えない工夫をしなさい」 とは科学的合理性に支配された現代人にとってみれば 「はなはだ馬鹿げたこと」 に感じられることであろう。
だが混迷を極めた現代社会を正常に戻すためにはこの馬鹿げた方法に頼るしか他に方法がないのである。 空海の生涯を代表する大作となった
「秘密曼荼羅十住心論」 を自ら要約した 「秘蔵宝鑰」 の序文の最終行に配された 「太始と太終の闇」 と題した偈はそれに気づかない人間の愚かさを暗示しているかのようである。
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