Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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即心と即身の狭間〜道元と空海
 道元と空海の思想の類似性については、第1758回 「道元と空海〜仏として生きる」 で論考した。 その末尾で私は以下のように書いている。
 道元は開山した永平寺で禅の奥義を究めた 「正法眼蔵」 を著して寂滅した。 他方、空海は開山した高野山金剛峯寺で密教の奥義を究めた 「秘密曼陀羅十住心論」 を著して寂滅した。 ともに日本仏教思想史上、屈指の名著である。 だが彼らが言いたかったことは 「一言」 にして尽きている。 曰く、「仏として生きる」 である。
 先日、道元と空海の類似性を繋ぐ核心的な認識断片に遭遇した。 それは 「仏として生きる」 方法における両者のアプローチの相違についてである。 道元はそれを 「即心是仏」 と表現し、空海は 「即身成仏」 と表現した。 空海の 「即身成仏」 は周知のものであったが、道元の 「即心是仏」 はいまだ知るところではなかった。 それぞれの説くところは以下のようである。
道元の即心是仏 : 心の本体は仏と異なるものではなく、この心がそのまま仏である
空海の即身成仏 : 身の本体は仏と異なるものではなく、この身がそのまま仏である
 道元の即心は心にかかり、空海の即身は身にかかる。 心と身は 「ペアポール」 であって。 唯識論と唯物論の根底を成す。 「内なる意識宇宙(精神世界)」 と 「外なる物質宇宙(現実世界)」 の相関はこの 「知的冒険エッセイ」 で探求し続けてきた核心的なテーマであって、さまざまなアプローチから論考してきた。 その軌跡は 「物質と意識の狭間」、「新たな物理学への展望」、「物質から意識への大転換」 ・・ 等々に詳しい。
 仏として生きる方法として、道元と空海が 「対極のアプローチ」 を採ったことは、むしろ必然の帰結であったであろう。 唯識論からアプローチした道元と唯物論からアプローチした空海の対比構図は、量子論からアプローチしたボーアの 「相補性」 と相対論からアプローチしたアインシュタインの 「相対性」 の対比構図に等価的に一致する。 道元はボーアであり、空海はアインシュタインである。 宇宙にアプローチするにおいて、宗教も科学も何ら異なるところはないのである。 この構図を意識跳躍をもって一気に還元すれば、道元が著した 「正法眼蔵」 は多分に 「量子論の世界」 を描いたものであり、空海が著した 「秘密曼陀羅十住心論」 は多分に 「相対論の世界」 を描いたものであるとの 「大いなる仮説」 に到達する。 畢竟如何。

2024.10.07


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