未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
道元と空海〜仏として生きる
第1757回
「道元の悟りとは」 では曹洞宗の開祖、道元(1200〜1253年)の 「思想の系譜」 を追った。 その中で私はあることに気がついた。 それは真言宗の開祖、空海(774〜835年)との 「思想の類似性」 についてである。
道元が説く 「心と身はひとつである」 とする 「心身一如」 の思想は、空海が説く 「想像と現実はひとつである」 とする 「即身」 の思想に等価的に一致し、道元が説く 「人間はもとより仏である」 とする 「心身脱落」 の思想は、空海が説く 「この身のままで仏になる」 とする 「即身成仏」 の思想に等価的に一致し、道元のひたすらに座禅をする 「只管打座」 の修法は、空海のひたすらに真言を唱える 「加持祈祷」 の修法に等価的に一致する。
またこれは過去に 「最澄と空海」 で述べたことであるが、それは仏教者として目指す方向性の根本的な違いである。 「仏になろうと生きた最澄」 と 「仏として生きた空海」。 両者の違いには天と地ほどの差がある。 勿論、道元は空海同様に 「仏として生きた者」 である。 それはまた、理想と現実の差であり、秀才と天才の差であり、悲観と楽観の差であり、受動と能動の差であり ・・ 云々。 その差は互いの個性の違いから生まれたものだと言ってしまえば、それまでであるのだが ・・ 畢竟如何。
道元は開山した永平寺で禅の奥義を探求した 「正法眼蔵」 を著して寂滅した。 他方、空海は開山した高野山金剛峯寺で密教の奥義を探求した 「秘密曼陀羅十住心論」 を著して寂滅した。 ともに日本仏教思想史上、屈指の名著である。 だが彼らが言いたかったことは一言にして尽きている。 曰く、「仏として生きる」 である。
2023.05.18
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