デビット・ボームは 「明在系と暗在系」 という2つの構造により宇宙が構成されているとする説を提唱した。
一般的人間が認識し理解できる世界を明在系と呼び、認識し理解できない世界を暗在系と呼ぶ。 宇宙に明在する物の各部分に宇宙に暗在する物のすべての情報が内蔵されている。
それは 「内蔵秩序」 と呼ばれ、宇宙の各部分には全宇宙に現存するすべての情報がその中に含まれている。 例えば、植物の種子を見れば、それは単なる小さな粒である。
しかし、それが土にまかれると根が生え茎が伸び葉が出てやがてその植物の形を我々の前に現す。 種子の中に内蔵されていた情報が我々にわかる形に象出してくるのである。
つまり、明在する種子だけを見たときには、この植物の形は暗在していて知覚はできないのである。 これと同じように宇宙の各部分には宇宙全体の情報が内蔵されているのである。
量子論では過去の現在への影響について説明することができない。 量子力学は限られたある一瞬だけを扱い、それを観測するのみである。
ボームは現在という瞬間が宇宙全体の 「投影(プロジェクション)」 であるという考え方で量子力学における時間に関する不足部分を補おうとした。
宇宙全体の中に包みこまれていた何かの局面が現在という瞬間に開かれ、その刹那にその局面が現在になるというのである。 そして次の瞬間も同じように全体の中に包み込まれていたもうひとつの局面が開かれるというように考える。
ここで重要なことは、ボームがそれぞれの瞬間は前の瞬間と似ていて、しかも違っていると主張していることである。 これについてボームは
「注入(インジェクション)」 という言葉を使って説明している。 つまり、現在という瞬間は全体の 「投影」 であり、投影された現在は、次の瞬間には全体の中に逆に
「注入」 され返す。 ゆえに全体に戻ってきた前の瞬間の性質が次の瞬間に全体から投影される局面に一部含まれることになる。 これにより前の瞬間と次の瞬間の現在との間に因果性が発生する。
これは浜辺にうち寄せる波のごとくである。 我々は現在という浜辺に立っている。 海は宇宙の全体であり、すべての秩序が内蔵されている。
しかし、我々はその姿、形を漠として知覚はできない。 その全体宇宙から刹那刹那に波が押し寄せてくる。 その波がうち寄せることで、我々は波を現実に知覚でき宇宙の存在を実感する。
しかし、いったん浜辺にうち寄せた波は再び全体宇宙へと戻っていく。 そのときには、いったん浜辺にうち寄せたことで、現実の世界に現した形の情報とともに全体宇宙に戻っていく。
ゆえに全体宇宙にその情報が含まれることになるのである。 そして、その情報は次に全体宇宙から投影されて浜辺にうち寄せる波の形などに影響を与える。
彼は全体の投影である一刹那を考え、その一刹那が運動であるととらえる。 その全体からの投影こそが事物の実在化であるとする。 その実在化の刹那が継続することにより、時間軸が発生し、我々が認識できる確固たる実在となるのである。
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