Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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ディランと井月
 第1879回 「大いなる欠落〜主を失った客」 では、米国のフォーク歌手、ボブ・ディランの 「ライク・ア・ローリング・ストーン」 をとりあげた。
 タイトルの 「ローリング・ストーン」 とは 「住所不定の人」 を指している。 歌詞にある 「どんな気がする 帰る家もなく 誰にも知られずに生きるのは 石ころみたいに転がっていくのは ・・」 とは、社会的に孤立した厳しい状況下の生活を歌ったものであって、そこにはボブ・ディランの上流ブルジョワ階級に対する辛辣なメッセージと人生の栄枯盛衰が込められているという。
 その時、突如として以下の句が脳裏に甦ってきた。
落栗の 座を定めるや 窪溜り (おちぐりの ざをさだめるや くぼだまり)
 この句は漂泊の俳人、井上井月が伊那美篶末広村太田久保(現在の伊那市大字美篶の末広地区)の塩原家に養子になったときに詠まれた句である。 ころころと転がりどこに落ち着くかわからない落栗のような自分が、やっと落ち着いてその座を定めたという意である。 死を前にした井月に訪れた安定とはささやかな庭にできた 「小さな窪溜り」 でしかなかったのである。 漂泊多年、遂に伊那を墳墓の地と定めた諦念がひしひしと伝わってくるようである。
 ボブ・ディランと井上井月に架け渡された奇妙な相似性は、あるいは時空を超えて共鳴した不可思議な 「共時性」 であったのかもしれない。
 漂泊の俳人、井上井月については、信州つれづれ紀行、第322回 「六道の堤 追憶の井月」 を参照願えればもって幸いである。

2024.04.02


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