井月は、幕末の安政5年(1858)頃伊那に現れ、その後30年余りを伊那の地で過ごしました。その間、定住することなく知り合いの家に一泊二泊や長逗留、時には野宿、伊那の村々を転々と放浪して過ごし、およそ1700の俳句や書などを残しました。越後(新潟県)長岡の生まれらしい。名前は井上克三と言うのかもしれない。息をのむ達筆と深い教養から察するに武家の出らしい。いや、裕福な酒屋の出かもしれない。と言われていますが、はっきりした素性は全くわかりません。伊那に現れた頃は36歳前後、歳を経るに従って風体は乞食同然となりました。なぜなら彼は定職などには就かず、家庭を持たずまったくの風来坊として生きたからです。汚らしい格好をして野辺の道をとぼとぼと歩く彼を人は「乞食井月」と呼びました。やせこけて背が高く、頭は禿げていてひげや眉は薄く、切れ長でトロリとした斜視眼。
|