Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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絶望の彼方
 第1384回 「問いの終焉」 では末尾に次のような文章を配して総括した。
 哲学者ハイデッガーにして、宗教者空海にして、生涯に渡ってかくなる問いを突き詰めた知的探求者である。前者は「無」に行き着き、後者は「冥」に行き着いた。無と言い、冥と 言うも、それは微妙な表現の異なりであって、本質は同じであったであろう。 問うべき問いが尽き果てたときに両者が背負った絶望感とはいかばかりであったろうか?
 以下の記載はその 「絶望の彼方」 に挑んだ先人達の記録である。
ニーチェ 〜 永遠回帰説
 哲学者ニーチェはその絶望を自ら構築した 「永遠回帰説」 をもって超越しようとした。 だが、心ならずも精神崩壊に陥って道半ばで頓挫してしまった。 あとを引き継いだ哲学者ハイデッガーは、ニーチェの永遠回帰の絶望を ・・ 未来において何が起こるかはまさに決断にかかっているのであり、回帰の輪はどこか無限の彼方で結ばれるのではなく、輪が切れ目のない連結をとげるのは、相克の中心としての「この瞬間」においてなのである。永遠回帰におけるもっとも重い本来的なものは、まさに 「永遠は瞬間にあり」 ということであり、瞬間ははかない今とか、傍観者の目前を疾走する刹那とかではなく、未来と過去との衝突である ・・ と回避してみせた。 だが、そのハイデッガーにして、最後にたどり着いたのは避けがたい 「無の絶望] であったことは前述した通りである。
 人間以外の生物に過去や未来があるのかはわからないが、私には彼らが今の今というこの瞬間を永遠に昇華させているように観える。人間より遥かに短い生涯しかもちえない彼らであってもその生はすでにして永遠に行き着いているように観えるのである。なまじ認識力に優れる人間であるがゆえに今の今という足下には目がいかず、遥か彼方の 「ありもしない永遠」 を求め続けているのかもしれない。
空海 〜 即身
 宗教者空海はその絶望を 「即身」 をもって超越しようとした。 即身の思想は難解で、おいそれと理解することは叶わない。私は即身を 「想像と現実の融合」 と解したのだが、いまだその理解は表層に漂っているに過ぎない。(ベストエッセイセレクション「即身への道〜想像と現実の融合」を参照) その中で「進化する頭脳の救済法」としての 「止観」 の概念について述べている。止観とは簡単に言えば「思わない」、あるいは「考えない」ということである。ひとつの問いの解決は次なる新たな問いの出現であってどこまでいっても尽きることがない。空海は即身に不可欠な 「意識跳躍」 はそのような思考展開では実現不可能であることを悟り、「無の絶望」は止観をもってしか超越できないことを自覚するに至ったのであろう。そこに、空海の天才たる所以がある。 だがそれは、真言密教の 「大いなる秘術」 であって、誰もが習得できるものではない。秘術とはそういうものである。同時代のライバルであった最澄が「密教の奥義」を極められなかった理由もまたこのあたりにあったのではあるまいか? 最澄が創建した比叡山延暦寺を当初は 「一乗止観院」 と号したことは何事かを暗示して象徴的である。 認識学の達人であった最澄にして認識をもって修行する(思考する)ことの限界はすでにして充分わかっていたのかもしれない。そこに、最澄の秀才たる所以がある。
立原道造 〜 忘却
 夭折の詩人、立原道造は友人に宛てた書簡の中で以下のように語っている ・・ いつか僕は忘れるだろう。「思ひ出」という痛々しいものよりも僕は「忘却」といふやさしい慰めを手にとるだろう。僕にこの道があの道だったこと、この空があの空だったことほど今いやなことはない。そしてけふ足の触れる土地はみな僕にそれを強いた。忘れる日をばかり待っている ・・ 感受性に富んだ道造にすれば、思い出こそが自らの詩作の原動力であったとともに、「精神的苦痛の源泉」でもあった。救済への道は、唯一、「忘却」しかなかったのであろう。 詩人立原道造が至った 「忘却」 とは、哲学者ハイデッガーが至った 「無」 であり、宗教者空海が至った 「冥」 と本質では一致する等価的概念ではなかったか?
秋山真之 〜 頭を使わない工夫
 日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を「丁字戦法」をもって殲滅せしめた作戦参謀、秋山真之はまれにみる知略の持ち主であった。だがその知略は昼夜を分かたぬ思考につぐ思考によって編み出されたものであった。ときとして、あまりに激しい煩悶と懊悩は秋山をして精神崩壊寸前まで追いつめてしまう。そのとき秋山の上官が言った 「君は頭を使わない工夫をしなさい」 という命令は海戦史での語りぐさである。回転力に優れた秋山の頭脳は放置したらオーバーヒートしてしまう。その窮状を救ったのは「想像と現実を融合」させる 「止観」 の働きであったのである。 かくして乾坤一擲の海戦に出撃するに際し、秋山が東京の大本営に打電した以下の電文は、軍人であるとともに文人でもあった秋山真之の面目躍如たるものがある。 「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ
三島由紀夫 〜 無への飛翔
 三島由紀夫の「行動学入門」によれば、行動とは日本刀に似て、いったん目的に向かって鞘から抜き放たれたいじょうは、その目的を達しなければ、再び鞘に収まらないものとす。行動を開始するまでは思考するが開始されるや思考は行動が終了するまで停止する。それは思考の矢は時間の矢と同じく、今の今では停止する状況に似る。これを 「刹那」 と言う。日本刀は刹那の瞬間空間を一閃するのである。刹那の意味は刹那では認識されず、意味もまた知覚できない。行動もまた行動の途上では意識されず、意味もまた知覚できない。意識され知覚できるのは行動が終了した刻である。日本武士道の教則本と言われる 「葉隠」 は、如何に工夫すれば思考が停止するかを教えたものである。その眼目は「武士道とは死ぬことと見つけたり」とする雑念を取り去ったところに発現する 「純粋行動の美学」 である。それはまた、日本の歴史風土が生んだ 「狂の時空間」 である。狂とは現代の語感がもつ否定的な意味合いではなく、本来は酔狂や狂言等々の語彙に表象される純粋精神の「もの狂い」を意味する肯定的な言葉である。ある種の集中心の昇華を意味する。このもの狂いを体現化した武士道こそは世界の人々が日本民族に抱いた唯一の「畏敬の念」であった。 憂国の士、三島由紀夫は「葉隠」の中に象出した純粋行動の美学に心酔し、純粋精神としての「もの狂い」に殉じたのであろう。 以下の辞世の句はそのことを余すことなく表している。
益荒男の たばさむ太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて 今日の初霜
 だが、三島は本来は思考の人である。 初期の作品「金閣寺」から死の前日完成した「天人五衰」まで、限りなく思考した。三島は文学者であるとともに、宇宙を意識した物理学者のごとき怜悧な文章で作品を構築した。その彼が死を前にして、最後にたどり着いた時空間とは、音や動きを失った真青な雲ひとつない空と、その下に広がる緑の松山と、ひざかりの陽を浴びて しん と静まりかえった尼僧院の白い石庭の風景であった。(天人五衰最終章の記述) およそ人間もいなければ、生物の匂いもしない、どうやら時間さえも停止している無機質的な空間である。生命とはまったく正反対の極に位置する空間である。 「存在」と「無」、存在は無から生まれ、無は存在から生まれる。 おそらく三島は宇宙が内蔵するかくなる根元構造に至ったのではあるまいか? 生きた三島が最後に記述した「宇宙の断章」こそ、我々の存在の意味を発生させ、生命の躍動を可能ならしめる宇宙の 「陰の全貌」 ではなかったか? 彼はその存在と生命を生んだ「羊水」の中に没し去ったのである。この 「羊水の海」 にこそ、次なる存在と生命を再生する宇宙の母性が満ちている。 彼は最終作を「春の雪」、「奔馬」、「暁の寺」、「天人五衰」の4部構成とし、全体の表題を 「豊饒の海」 とした。 この豊饒の海こそ、宇宙生命を生みだす「羊水の海」であろうし、4部構成は輪廻転生の波動循環の擬態であろう。 物語の起承転結の中に 「宇宙の四季」 をこっそりと織り込んだのである。 まさに、それは無から波動が生まれ、その波動から宇宙が生まれたとする宇宙物理学の記述に一致する。 これは単なる偶然ではあるまい。 彼の行動は自殺などではなく、科学理論では突破することができない「特異点の突破」であったのかもしれない。 彼は物理学が説明する時空のトンネル 「ワームホール」 を見つけ出し、その暗黒のホールに飛翔して未知なる宇宙に旅立った宇宙飛行士のようである。 そのワームホールがどこにつながり、どこに出るのか? 過去の時空なのか? それとも未来の時空なのか? とまれ、彼はそれに賭けたのである。

2020.04.20


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