夭折の詩人、立原道造は友人に宛てた書簡の中で以下のように語っている ・・ いつか僕は忘れるだろう。「思ひ出」という痛々しいものよりも僕は「忘却」といふやさしい慰めを手にとるだろう。僕にこの道があの道だったこと、この空があの空だったことほど今いやなことはない。そしてけふ足の触れる土地はみな僕にそれを強いた。忘れる日をばかり待っている
・・ 感受性に富んだ道造にすれば、思い出こそが自らの詩作の原動力であったとともに、「精神的苦痛の源泉」でもあった。救済への道は、唯一、「忘却」しかなかったのであろう。
詩人立原道造が至った 「忘却」 とは、哲学者ハイデッガーが至った 「無」 であり、宗教者空海が至った 「冥」 と本質では一致する等価的概念ではなかったか?
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