最も秋山真之は伊予松山の出身であり、短詩型文学(俳句・短歌など)中興の祖となった正岡子規とは幼なじみの親友であったし、かっては正岡ともども文学志望の青年であった。美文を書く才能は多分に蔵していたのである。だが日本騎兵の父といわれた兄、秋山好古との繋がりで軍人の道に進み、冒頭に記した日本海海戦の勝敗を分けたとされる「丁字戦法」は真之がバルチック艦隊殲滅を期して昼夜をわかたない熟考に熟考を積んで練り上げた一撃必中の作戦であった。
「天気晴朗ナレドモ波高シ」の名文が真之のいかなる才能からうまれたのかは判断に窮するが、おそらくは天が与えた「機の狭間」で思わずして念頭に生まれたものではなかったか。
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