個人としての片隅の世界に対し中央の世界は全体の世界である。 片隅の世界は 「個人的現実」
として位置し、中央の世界は 「全体的現実」 として位置している。 現在進行中の日韓関係の騒動に例をとって考えれば、韓国人の視点はもっぱら全体的現実である中央の世界に注がれ、日本人の視点はもっぱら個人的現実である片隅の世界に注がれている。
個人的現実に視点を置いた 「この世界の片隅に」 が全体的現実に視点を置く韓国でヒットするかどうかはわからない。 これらの視点の違いを国民性といってしまえばそれまでであるが、長い歴史時間の中で培われて習慣化されたものであるいじょう
「おいそれとは変わらない」 のかもしれない。
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