未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
老荘か孔孟か〜他力か自力か
第1033回
「予定調和の構造」の帰結「お天道様が見ている」、
第1034回
「新たなライフスタイルとは」の帰結「勝手にやらせて頂きます」については「自助努力を放棄した姿勢」に対する違和感を覚える人もいるであろう。
だが本意はその自助努力の源泉である「自意識」を超えたところにある。老荘思想の「無為自然」、仏教における「他力本願」の真意もまたそこにある。
「無為自然」の対極にあるのが孔孟思想の「刻苦勉励」であり、「他力本願」の対極にあるのが「自力本願」である。自意識を超えて自然に任せる「無為自然」を体現することは言葉ほどに簡単ではない、同様に自我への執着を超えて「他力本願」に至る道もまた簡単ではない。
「無為自然」といい、「刻苦勉励」といっても、実のところ違いはない。無為自然を究めれば刻苦勉励に至り、刻苦勉励を究めれば無為自然に至る。 同様に他力本願を究めれば自力本願に至り、自力本願を究めれば他力本願に至る。 言うなれば、それは紙の表裏の如くであって、1枚の紙であることに違いはない。
老子が説いた「無為自然」とは、人間ははかりごとを為さず、ただただ自然に生きるのが最良であるとする思想であり、荘子が説いた「無用の用」とは、およそこの世に無用なものなどはなく、すべてが必要な有用なものであるとする思想である。 「お天道様が見ている」とはそういうことであり、「勝手にやらせて頂きます」とはそういうことである。 字面の裏に隠された真意こそが本題なのである。
蛇足ながら付け加えれば、「無為自然」をもととする老荘思想と「刻苦勉励」をもととする孔孟思想は時を置いて繰り返すと言われる。国家政治の仕組みもまた大きな予算で運営する大きな政府と小さな予算で運営する小さな政府が時を置いて繰り返す。経済もまた景気の上昇と下降を時を置いて繰り返す。はたまた運さえも時を置いてついたりつかなかったりする。時の経過とともに万物事象が盛衰を繰り返すのは世の習いである。
2017.03.30
copyright © Squarenet