Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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ある思考実験から〜予定調和の構造(神の目)
 第1031回「貴方の宇宙と私の宇宙」、第1032回「相対的宇宙と絶対的宇宙」で描かれたふたつの思考実験がとりのこした「知る方法も確かめる方法もない貴方の宇宙と私の宇宙で構成された宇宙構造が何らも破綻することもなく無事に存在できるのは何ゆえか?」という課題について引き続き考える。
 課題を整理すれば「ひとりひとりが別々な相対的宇宙に存在しているのに、かくなる共通的事実経験を共有できるのはなぜか?」ということである。
 ドイツの哲学者、ライプニッツ(1646〜1716年)はこのような相対的宇宙の対応関係を「予定調和」という言葉で表現した。人間の意識内容は外界の反映によって創られるのではなく、意識自体が創りだした「イメージ」であるというのが「唯心論」の立場である。それを一般的に考えれば「同じ外界を見ているから、イメージに対応関係がある」となるが、ライプニッツは逆に「イメージに対応関係があるから、同じ外界を見る」と考えたのである。ではどうしてこのようなイメージの対応関係があるのかという疑問に対して、ライプニッツは「神」に帰着させ「予定調和」と呼んだのである。ライプニッツの視点で課題の宇宙構造を述べれば次のようになる。
我々は別々の相対的宇宙を眺望するが 予定調和によって同じ宇宙を体験する
 ここで思い当たるのは、ライプニッツの「予定調和」の概念が、心理学的世界を語ったフロイトやユングが言う「潜在意識」や「集団的無意識」の概念に非常に近い関係をもっていることである。さらには物理学者、デビット・ボームの言う「暗在系の内蔵秩序」、東洋の思想家、老子や荘子が言う「道」、孔子や孟子が言う「天」、王陽明が言う「心即理」といった概念にも近い。これらの概念のどれもに共通して「我々が全体宇宙的な存在である何かを共有している」とする直観が横たわっている。
 ライプニッツはこのような相対的宇宙の対応関係を「予定調和」と呼び「神の目」に帰着させている。かくなる帰結は、私が知ることができないとした貴方の心を「神の目」であればそれが可能であるということなのか? また眺めることができないとした別々の相対的宇宙が積層された絶対的宇宙を「神の目」であれば眺めることが可能であるということなのか?
 だが探求も「神の存在証明」ともなれば、もはやここまでである。 総括して「ひとこと」でまとめろというのであれば ・・ 日本古来の箴言である「お天道様が見ている」に尽きる。

2017.03.28


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