Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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勝手ライフのすすめ〜新たなライフスタイルとは
 第628回「手づくりライフのすすめ」を書いたのは2006年1月25日であった。その頃に喧伝されていたライフスタイルは「スローライフ」であった。スローライフとは経済の急激な成長の中で営まれてきたわき目もふらない「ハイスピード」のライフスタイルから「スロースピード」のライフスタイルに生活様式を変えようとするものであった。その対極として提示したライフスタイルが表題の「手づくりライフのすすめ」である。
 以下の記載はその「手づくりライフのすすめ」からの抜粋である。
 確かに生活のスピードをゆっくりにすることも人間が豊に生きることにおいては必要なことではあるが、単に「ゆっくり生きることのみ」をもって、人生が「生き甲斐のある意義あるもの」になるのかどうかは疑問である。 「手づくりライフ」とは言うならば「既製ライフ」の反対概念である。
 高度経済成長下で展開したのはハイスピードの経済成長だけではなく、同時に事物の標準化もまた進展した。製品をローコストで大量に生産するにおいては製品や技術等の標準化は必要不可欠の機能である。この標準化への邁進がまれにみる経済的成功をもたらしたのであるが、同時に、一方で「人間性疎外」という大きな弊害もまた日本社会の津々浦々にもたらしたのである。人間性疎外とは分かり易く表現すれば、「人間の部品化現象」である。経済社会発展を支えた標準化思想の裏側で、人間の「存在意義」がその成長を達成するための「巨大機械」を構成する「ねじ」や「歯車」のごとき「機械部品」の地位に貶められてしまったのである。
 かくなる機能社会で蔓延したライフスタイルが「既製ライフ」というライフスタイルであり、既製ライフとはすべてが標準化された「おし着せ」の生活様式である。自らのライフスタイルを自己の個性や好みで選ぶのではなく、しいて言えば、それぞれの「年収に応じたライフスタイル」という既製服がデパートの衣料品売場に並べられていて、我々は、ただ単にそれを着させられたにすぎないという構図である。
 2007年からは、かかる日本の高度経済成長を支えた「団塊の世代」と呼ばれる人たちが大挙して退職(リタイア)して来る。俗に世に言う「2007年問題」である。
 団塊の世代の今後のライフスタイルが「スローライフ」になるのか、はたまた「手づくりライフ」になるのかは議論の分かれるところであるが、私は「手づくりライフ」のライフスタイルをすすめる。なぜなら団塊の世代が自らの「セカンドライフ」として、今までのおし着せの生活様式を脱して、既成概念にとらわれない、自らの意思と、自らの手で、自らの生活をつくりあげるという「手づくりライフ」を目指すならば、「オンリーワン」の個性に輝いた「本当の意味での繁栄」が日本に到来すると思うからである。
 その後の経過を眺めれば確かに「スローライフ」よりは「手づくりライフ」のほうが普及したようにみえるが、第1019回「事実は小説より奇なり〜オンリーワンの変遷」で書いたように手づくりライフを裏打ちしていた「オンリーワン」の価値観が変遷してしまった現在ではその「手づくりライフ」のライフスタイルにも修正が迫られている。
 オンリーワンがナンバーワンへ逆戻りしてしまった原因は情報化時代を推進した情報技術の進歩発展であろう。「ツイッタ」や「インスタグラム」などに代表されるSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)が普及してアメリカの大統領まで世界に向かって「つぶやく」ともなればオンリーワンの価値観どころの話ではない。
 アメリカ大統領までがオンリーワンの「手づくりライフ」を踏襲するようになった今、新たなライフスタイルとしていかなるものが創造されるのか? 少々自虐的かつ脱力気味ではあるが、究極の自由主義を目指した「勝手にやらせて頂きます」といった価値観に基づいたライフスタイル「勝手ライフ」などはどうであろう? 曰く、「勝手ライフのすすめ」である。

2017.03.29


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