Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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逆因果律考(3)〜トーナメント表は人生表のごとし
 逆因果律とは未来が原因で過去が結果という時間を逆にした因果律である。その真意は未来に成した結果によって、過去に成した原因の意味が変更され得るとすれば、未来を原因と考え、過去を結果とすることが可能になるとするところにある。この逆因果律については、過去2回論考してきた。(第630回「逆因果律考1」、第672回「逆因果律考2」)
 先日、コピーライターの糸井重里氏の「面白い発想」を知るにおよんで、なるほどと感得した。その発想を抜粋すると以下のようである。
 かつて、ぼくは、ピラミッド型組織を横に倒して船のように見立てるのがいいと考えた。てっぺんにえらい人がいるというより、責任を持って船の進路を決める人が前にいる。食事係でじゃがいもの皮をむいている人も動力をコントロールしている人も次の港での交易を計画している人もそれぞれ、互いにいのちを預けあった乗組員だ。この考え方、なにかといろいろおもしろくしてくれる ・・ (中略) ・・ 映画館で考えていたのが、また横に倒すことだった。なにを横に倒してみるのか? 「トーナメント表」である。頂点の1人を、横にしてみたら出発点に思えるだろう。つまり、ひとりの人間がいま生まれた状態。この段階では、まずすべての人が参加している。少し生きると、選択肢2つのどちらかになる。もう少し生きていくと、選択肢4つの1つになる。少し生きることが進行するごとに、8、16、32、と ・・ どんどん生きてきた道筋といる場所は変化する。まったく別の道を歩いてきた人と出合ったり、近い人と、ちょっとしたことで離れることになったり、横に倒したトーナメント表は、無数の運命を、無数の未来を、無数の交流を生み出し、複雑のうねうねと生きもののように成長する。目の前には、意味のわかりにくい選択肢が、次々に現れて、人は次々にどちらかを選び続ける。「そっちを選ぶと、いままで避けてきた方向に導かれてしまうぞ」なんてこともあるだろうし、沈む方へ沈む方へと向かっていた人が、なにかの選択の場面で浮かぶようになることもある。たったひとりの勝者を決めるはずのトーナメント表が、ずいぶんと豊かな「人生表」に見えてくるものだ。これはおもしろいや! 映画の主人公たちの、その都度の選択のドラマが、ぼくに、ちょっと別の考え方を与えてくれた。
 そうこの発想は逆因果律の世界を語っているのである。トーナメント表は通常、最上部のひとりの勝者に向けて最下部から上に向かっての道筋を示している。 糸井氏はそのトーナメント表を横に倒すことで、時間の最先端にいるひとりの勝者がたどる「運命の道筋」を思考しているのだ。
 そのことを私は第630回「逆因果律考1」で以下のように述べている。
 かく今、自身が存在するためには「過去のすべてが必要であった」と考えることができる。そして、「自身の未来を創りだす」ためには、その「自身の過去が必要不可欠」であり、その過去がいかなるものであったとしても、その「材料」なしに未来を創りだすことはできない。 曰く、自身の過去を否定して自身の未来を生みだすことはできない ・・・。
「逆因果律考1」(第630回)へ
「逆因果律考2」(第672回)へ

2017.03.05


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