※注釈/量子論における意識作用とは
アインシュタインとその同僚は「EPRパラドックス」と呼ばれる思考実験を考えついた。それは相互作用を及ぼしているふたつの回転する粒子が、その後、遠く離ればなれになったと仮定する。そのふたつの粒子はそれぞれ反対方向のスピンをしているとする。ゆえにA粒子のスピンを観測すればB粒子のスピンの向きを推論できる。しかし、量子論の解釈によれば観測が行われるまでは両方の粒子がむちゃくちゃな状態で回転している。しかし、A粒子のスピンが観測された瞬間に回転の向きが右か左かに確定する。もし右であればB粒子のスピンの向きは左ということになる。この結果はふたつの粒子が何億光年と離れていようとも同じである。遠距離で働くこの作用はふたつの粒子が光よりも速く伝わる物理的効果によって連絡しあっていることを意味している。
このパラドックスは1982年、パリの応用光学理論研究所のアラン・アスペによって現実として確認された。宇宙の遠く離れた領域にあるふたつの量子粒子がどういうわけかひとつの物理的実在となっていたのである。
さらに波動関数の収縮が非可逆的であるということは時間の矢が客観的な存在であるという確固たる証拠といっていい。しかし、つねに監視されている量子系においては時間が止まってしまうという驚くべき結論もまた導かれた。この結論は時間の矢の存在に疑問を投げかける。
量子論における観測は何かをちらっと見るといったように連続的ではなく瞬間的に行われると理想的に設定されている。では、どの瞬間に放射性崩壊が起こるのかを連続的に原子核を観測したらどうであろうか。テキサス大学のミスラとスーダルシャンはこの状況では原子核は決して崩壊しないことを示した。これは「やかんを見つめていると湯は沸かない」ということである。観測が連続して行われると原子は崩壊できない状態に置かれたままになり別の元素へと変わることができない。しかし、連続した観測という概念もまた理想的な設定であり最終的には崩壊は起きる。しかし、これらの極端に誇張されたふたつの観測はどちらも当惑させられる。明らかに何かが起こるように誘発されるか、何も起こらないかのどちらかである。シュレジンガーの猫の思考実験で、もし箱を透明にして中が見えるようにすれば我々が見続けるかぎり猫は生き続けることになる。
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