未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
時は流れず(4)〜流れているものとは
時は流れず(
第953回
)ではその意味を検証した。では時に代わって流れているものとは何か?
今の今、眼の前に広がっている現象世界の特徴は「運動」である。 「ゆく川の流れは絶えずして」というときの流れ、即ち運動である。
であれば、その運動の継続が「時の流れ」に代わる流れであろうか?
それとも、その運動に伴う意識変化の継続が「時の流れ」に代わる流れであろうか?
これらの流れを時の流れに置きかえれば、運動の停止とは即ち時の停止であり、意識の停止とは即ち時の停止ということになる。 「時よ止まれ」と叫んだときに想起される「運動を停止し、意識を喪失した人間像」とは、はからずも、この状況を語っているのではあるまいか?
だが我々はその状況でもまだ「時は流れている」と考えている。 しかしながら意識を喪失した人間に、いかにそのことが理解できるというのであろうか?
かって中学生に向けた講演の中で ・・ 空間に、たった1個の物体しか存在しなかった場合、その物体の周りに空間が「ある」のか「ない」のかを、どのようにして証明できるのか? それは「ある」とも言えるし「ない」とも言える ・・ と語った。 (物質が空間と時間を発生させる
第18項
参照)
同様に ・・ 空間に、運動がまったく存在しなかった場合、その空間に「時が流れている」のか「流れていない」のかを、どのようにして証明できるのか? それは「流れている」とも言えるし「流れていない」とも言える ・・ ということになる。
この世は「時間」と「空間」で構成された時空間と呼ばれる宇宙であるとされている。 だがその実、その時間と空間を手にとらえようとすると、いつしか夢幻のごとくに消えてしまう。
「色即是空 空即是色」(注1)とは般若心経の言であり、「世間虚仮 唯仏是真」(注2)とは聖徳太子の言であり、「浪速のことは 夢のまた夢」(注3)とは豊臣秀吉の言である。
(注1) 色即是空 空即是色
「色」とは仏教用語で「形あるもの」を意味し、「空」とは仏教用語で「実体がないこと」を意味する。
「色即是空 空即是色」とは「形あるものはそのままで実体なきものであり、実体がないことがそのまま形あるものとなっている」という意。
(注2) 世間虚仮 唯仏是真
この世にある物事はすべて仮の物であり、仏の教えのみが真実であるという意。聖徳太子の言葉と伝えられている。太子の死後、妃の橘大郎女が中心となり、太子追悼のために天寿国繍帳を織らせたが、この言葉はそのなかに記されている。
(注3) 露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢
豊臣秀吉の辞世の句。「夢の中で夢を見ているかのような儚い生涯だった」という意。
2016.09.21
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