Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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時は流れず(3)〜運動を時間で分解することはできない
 「時は流れず」とは世界が静止画のように静止しているということではなく、時間が過去・現在・未来というようには連続していないということである。
 時間は森羅万象の変化率であるということもできるし、空間のパラメータであるということもできる。その意味するところは、時間をもって森羅万象の変化を語ることができるということであり、時間をもって空間の動向を語ることができるということである。
 逆に森羅万象をもって時間の変化を語ることはできないし、空間をもって時間の動向を語ることはできない。 森羅万象や空間は見ることができても、時間を見ることができないのはそのためである。
 時間が流れているように感じるのは、時間というパラメータを使ってこの世の出来事の経過を支障なく説明できるからに他ならない。 それ以外に理由は見いだせない。
 運動とは森羅万象や空間の変化率を的確に表現した言葉であるが、運動を時間で分解することはできない。運動を撮影した映像はコマ送りすることができても、現実の運動をコマ送りすることはできない。 この意味では運動と映像は似て非なるものである。 投げあげたボールを空中で停止させることなどできないのである。 停止するのは運動が終了して速度が0になった状態でのことである。
 投げあげたボールの運動軌跡を時間をパラメータにして1枚の紙の上に描けるからといって、現実空間の上にその軌跡を描けるわけではない。
 過去・現在・未来とは時間をパラメータにして脳裏にある1枚の紙の上に描いた森羅万象の運動軌跡であって、現実空間の上に描いた軌跡ではない。
 現実空間にあるのは今の今という現在だけである。 現在とは速度をもった運動そのものであって、それを静止画に分解することなどもとより不可能なのである。 「時は流れず」とはそういうことである。

2016.08.19


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