Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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未来はどこに
 第2次大戦が終わった頃、アメリカでは 1/4 の人が田舎に住み、日本では 3/5 の人が田舎で農業にたずさわっていた。今日ではあらゆる先進国において、田舎の人口は 5% を下回りさらに減少を続けている。中国やインドでさえ都市の人口が増加し、仕事や住まいのあてがなくとも都市に出ようと躍起になっている。 この人口構造の変化は人類が住居を定着させ牧畜と農業にたずさわるようになった1万年前以来のことである。その変化には数千年を要したが、今起こっている都市への急激な人口流入はたかだかここ1世紀の間であって史上例がない。
 日本では東海道新幹線の開通、東京オリンピックの開催などがあった昭和30年代後半頃から都市への集中が始まった。 その大半は成長を続ける日本経済を支えるべく田舎から集団就職で都会に迎えられ「金の卵」ともてはやされた若者たちであった。 当時上野は東北から上京するときの玄関であり、「集団就職」や「出稼ぎ」の象徴的な駅であった。 井沢八郎が唄った「ああ上野駅」が空前のヒットとなったのは昭和39年のことである。
「ああ上野駅」
どこかに故郷の 香りをのせて
入る列車の なつかしさ
上野は俺らの 心の駅だ
くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった
就職列車に ゆられて着いた
遠いあの夜を 思いだす
上野は俺らの 心の駅だ
配達帰りの 自転車を
とめて聞いてる 国なまり
ホームの時計を 見つめていたら
母の笑顔に なってきた
上野は俺らの 心の駅だ
お店の仕事は 辛いけど
胸にゃでっかい 夢がある
 また石川啄木は 「故郷の訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聞きに行く / ふるさとの なまりなつかしていしゃばの ひとごみのなかに そをききにゆく」 と詠った。 強い望郷の念にかられた啄木は東北からの列車が到着する上野駅の人混みの中にふるさとなまりの東北弁を聞きにいったという意の短歌である。
 ともに故郷をあとにした素朴な哀愁に満ちている。 だが都会にはそれをおぎなって余りあるまぶしいくらいに光り輝く未来があった。 「花の東京」とはそれを象徴する言葉である。
 かくして時は流れた ・・・ 今では花の東京という人はいない。 機能性と合理性を追求した都市文明は未曾有の発展を遂げた。 都市文明はなにもかもが自由ではあったが、自由がゆえの匿名性の社会でもあった。 個々人の顔がない匿名性とは没個性的であり、ときとして犯罪の温床となり、集団としての絆の消滅をもたらす。
 「風のガーデン(第878回)」や「優しい時間(第879回)」で描かれた世界は、かくして行き着いた都市文明がいかなるものであったのかを問うている ・・ 我々はいったいそこで何を得て、何を失ったのか ・・ こころ静かに考えるところにきたのである。
 某日、彼は就職列車にゆられて着いた上野駅を再び訪れた。 新装なった駅舎には当時の面影はなく、行き交う雑踏の中からはもはやふるさとなまりも聞こえてこない。 あの日からの星霜は走馬燈のように行き過ぎていった。 未来はどこにあるのか ・・ 都会か ・・ それとも田舎か ・・・ 確かにそこであったであろう「あの日」のプラットホームで彼は呆然と立ち尽くしていた。

2015.07.14


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