未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
宇宙へのアプローチ(2)〜刹那か連続か?
ファインマンの「経路積分」は宇宙へのアプローチ方法をそれまでの微分的手法から積分的手法に転換したことで物理学に大きな変革をもたらした。彼の積分的物理学は多分に「右脳的」であり、「直観的」であり、「幾何学的」であった。逆にそれまでの微分的物理学は「左脳的」であり、「論理的」であり、「代数学的」であったと言えよう。
素粒子に関するエットーレ・マヨラナ(イタリア1906年〜1938年)とポール・ディラック(英国1902年〜1984年)の予見について考察した「
第774回
真理のかたち」の中で、私は自ら構築した「Pairpole宇宙モデル」について以下のように述べている。
「
Pairpole宇宙モデル
」では時間軸に添って構成されている宇宙を「連続宇宙」と呼び、時間軸と垂直に構成されている宇宙を「刹那宇宙」と呼んだ。連続宇宙は言うなれば「空間を時間で積分した宇宙」であり、我々はその宇宙を「時空間」と呼んでいる。刹那宇宙は「空間を時間で微分した宇宙」であり、いまだ呼び名はない。
ここで言う「空間を時間で微分した宇宙」である刹那宇宙こそ微分的手法でアプローチした宇宙であり、「空間を時間で積分した宇宙」である連続宇宙こそが積分的手法でアプローチした宇宙である。ファインマンが「経路積分」をもってアプローチした宇宙とは、実にこの空間を時間で積分した「連続宇宙の風景」であり、それすなわち「時空間」のことに他ならない。
もしファインマンの主張が正しければ、我々が住む連続宇宙としての時空間とは「いろいろな出来事を時間の順序で並べるのは的はずれな世界」であり、「すべての経路を加算すれば実験者が観察する最終的な量子状態に至っているという世界」であり、「ルールに縛られない自由なプロセスが秩序となっている世界」ということになる。
他方、いまだ呼び名のない微分的刹那宇宙とはいかなる宇宙なのか。私は同様に「第774回 真理のかたち」の中で、その刹那宇宙の胎動を以下のように述べている。
刹那宇宙では、無から有への発生と、有から無への消滅が、間断なく繰り返され、有と無が混合したエマルジョンとなり、あらゆる可能性が「ゆらぎの状態」にある。刹那宇宙では、生と死が混在し、創造と破壊が混在する。あらゆる生命は刹那に生まれて刹那に死に、あらゆる存在は刹那に創造されて刹那に破壊される。
さらに数学的解釈を用いて「空間を時間で微分した刹那宇宙」を考えれば、それは「宇宙の傾き」を表現したものであろうし、「空間を時間で積分した連続宇宙」を考えれば、それは「宇宙の面積」を表現したものということになろう。宇宙の傾きを「宇宙の方向性」に、宇宙の面積を「宇宙の運動量」に還元すれば、それはまた「宇宙のベクトル量」と「宇宙のスカラー量」を表現したものということになる。
また工学的解釈を用いて「空間を時間で微分した刹那宇宙」を考えれば、それは「宇宙のデジタル概念」を表現したものであろうし、「空間を時間で積分した連続宇宙」を考えれば、それは「宇宙のアナログ概念」を表現したものということになろう。世は総じてデジタル技術に向かっているが、アナログ技術もそう捨てたものではない。
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2015.01.17
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