ニュートリノは光速を超えたのか? |
「光より速いニュートリノ? 相対性理論覆す発見か」という衝撃的な報に接し、その実験結果の意味するところ、「問題の核心が何なのか」を考えてみる。
まずその報とは以下のような内容である。
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【ジュネーブ伊藤智永】欧州合同原子核研究所(CERNジュネーブ)は23日、素粒子ニュートリノを光速より速く移動させる実験に成功したと発表した。事実なら、「光より速い物質は存在しない」としたアインシュタインの特殊相対性理論(1905年)を覆す物理学上の「大発見」となる可能性があるという。
発表によると、日本の名古屋大、神戸大や欧州などの研究者約160人が参加する「国際研究実験OPERA」のチームが、CERNで人工的に作ったニュートリノ1万6000個を、約730キロ離れたイタリアのグランサッソ国立研究所に飛ばしたところ、2.43ミリ秒後に到着し、光速より60ナノ秒(1億分の6秒、ナノは10億分の1)速いことが計測された。
1万5000回も同じ実験を繰り返し、誤差を計算に入れても同じ結果が得られたという。チームも「説明がつかない」と首をかしげており、実験データを公表して、世界中の研究者に意見と検証を求めたいとしている。
ニュートリノは、物質の最小単位である素粒子の一種。1930年に存在が予言され、56年に確認された。あらゆる物質をすり抜けてしまうため観測が難しく、解明のための研究が進んでいる。CERNは世界最大の加速器を備え、宇宙誕生の瞬間を人工的に作り出すことを通じて、物質と出合うと消滅する「反物質」の観測、物質の重さや真空などの原理的解明を目指す国際的な研究機関。
【毎日新聞 2011年9月23日 21時32分】
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かって知的冒険エッセイ 第 150回 「量子論概説 (著作 「Pairpole」
掲載)」 で私は以下のように書いた。
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(前文略)・・・アインシュタインとその同僚は「EPRパラドックス」と呼ばれる思考実験を考えついた。それは相互作用を及ぼしているふたつの回転する粒子が、その後、遠く離ればなれになったと仮定する。そのふたつの粒子はそれぞれ反対方向のスピンをしているとする。ゆえにA粒子のスピンを観測すればB粒子のスピンの向きを推論できる。しかし、量子論の解釈によれば観測が行われるまでは両方の粒子がむちゃくちゃな状態で回転している。しかし、A粒子のスピンが観測された瞬間に回転の向きが右か左かに確定する。もし右であればB粒子のスピンの向きは左ということになる。この結果はふたつの粒子が何億光年と離れていようとも同じである。遠距離で働くこの作用はふたつの粒子が光よりも速く伝わる物理的効果によって連絡しあっていることを意味している。
このパラドックスは1982年、パリの応用光学理論研究所のアラン・アスペによって現実として確認された。宇宙の遠く離れた領域にあるふたつの量子粒子がどういうわけかひとつの物理的実在となっていたのである。
さらに波動関数の収縮が非可逆的であるということは時間の矢が客観的な存在であるという確固たる証拠といっていい。しかし、つねに監視されている量子系においては時間が止まってしまうという驚くべき結論もまた導かれた。この結論は時間の矢の存在に疑問を投げかける。
量子論における観測は何かをちらっと見るといったように連続的ではなく瞬間的に行われると理想的に設定されている。では、どの瞬間に放射性崩壊が起こるのかを連続的に原子核を観測したらどうであろうか。テキサス大学のミスラとスーダルシャンはこの状況では原子核は決して崩壊しないことを示した。これは「やかんを見つめていると湯は沸かない」ということである。観測が連続して行われると原子は崩壊できない状態に置かれたままになり別の元素へと変わることができない。しかし、連続した観測という概念もまた理想的な設定であり最終的には崩壊は起きる。しかし、これらの極端に誇張されたふたつの観測はどちらも当惑させられる。明らかに何かが起こるように誘発されるか、何も起こらないかのどちらかである。シュレジンガーの猫の思考実験で、もし箱を透明にして中が見えるようにすれば我々が見続けるかぎり猫は生き続けることになる・・・・・(後文略)
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以上のように、パリ応用光学理論研究所のアラン・アスペは光を超える速度で情報伝達がなされていることを確認し、テキサス大学のミスラとスーダルシャンは連続的に原子核を観測すると原子核は決して崩壊しない(時間が止まってしまう)ことを示した。そして今回は、素粒子ニュートリノを光速より速く移動させる実験の成功である。ただ今回の意味することの重大さは、光速を超えたものが素粒子ニュートリノという「物質」であることにある。もしそれが事実なら、光速を超える「物質」は存在しないとしたアインシュタインの特殊相対性理論が覆ることになる。
相対性理論によれば物質の速度が光速に近づくにつれて時間はゆっくりと進み、光速に一致すると時間が止まってしまう。また物質の質量は光速に近づくにつれて重くなり、光速に至ると無限大となる。従ってこの理論からは質量をもつ物質は光速を超えることができない。光速を超えると時間は逆方向に進む(つまり、過去に向かう)と考えられているが、そもそも相対性理論では、光速を超えたあとのことは規定されていない。
以上を基に今回の実験を考えれば、問題の本質は、質量をもつ素粒子ニュートリノの速度が光速を超えたことを「いかに確定できるのか」である。
速度の定義は「移動距離」を「要した時間」で「割ったもの」であることはまぎれもない。では実験では素粒子ニュートリノが光速より60ナノ秒速いことが計測されたというのだが、相対性理論では光速を超えた時間は規定されないわけであるから、いったい素粒子ニュートリノの速度計算において移動距離を「いかなる時間」で割ったのであろうか。
光速に近づいた「ゆっくり進む時間」で割ったのか、それとも光速に一致した「停止した時間」で割ったのか、あるいは「ゆっくり進む時間と停止した時間が混在する時間」で割ったのか・・・。
仮に光速を超えると時間が過去に向かうとして、移動距離を「過去に向かう時間」で割ることに、いったい「いかなる意味」が生ずるのであろう。
アインシュタインにさかのぼるニュートンが運動方程式を構築するにあたり、前提としたものは「絶対時間の定義」である。絶対時間とは宇宙のいかなる場所においても「時間の流れは一定」であるとする時間定義である。この絶対時間で考えると光速があらゆる場所(あらゆる方向)で一定(30万km/s)であるという事実(現象)が運動方程式に整合しないため、アインシュタインは相対性理論を構築するにあたり、逆に宇宙のあらゆる場所(あらゆる方向)で「光速は一定」であることを前提として「光速の定義」をしたのである。そのために相対性理論では、今度は時間のほうが絶対時間ではなくなり、宇宙の各所で時間の流れが異なるという相対時間になったのである。
今回の実験で使用した「光速より60ナノ秒速い」というときの時間は、ニュートンが規定した絶対時間であろう、だが光速を超えたとする素粒子ニュートリノの周辺で流れた時間は、アインシュタインが規定した相対時間である。
つまり、この実験の意味を理解するためには「時間そのもの」をしっかりと「規定する」必要がある。
以下は 知的冒険エッセイ 第 639回 「アキレスと亀」 に登場した哲学者、大森荘蔵の時間に対する鋭い考察である。
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今は亡き反骨の哲学者、大森荘蔵(1921年〜1997年)は、我々が日常的に考えている「過去」・「現在」・「未来」と並べられた「線形時間」は存在しないことをあきらかにした。存在しない線形時間を存在するとしたために、「時間は過去→現在→未来と流れる(経過する)」という考え方が生まれたのである。そもそも現在は「運動を伴った」空間であって、過去、未来とは本質的に異なる特殊な空間である。他方、線形時間は「運動を伴わない」静的な時間概念でしかないのである。
さらに、線形時間が存在しないことは「運動の軌跡が存在しない」ことであり、「アキレスと亀のパラドックスは、運動を伴わない静的な線形時間と運動を結びつけたことが原因であり、存在しない運動軌跡を時空に思い描いたことによる」と簡潔にして明瞭に証明してみせたのである。
しかして大森最期の著作は、他界する前年に完成した「時は流れず」であった。
※アキレスと亀のパラドックスとは
紀元前5世紀、ギリシャの哲学者、ゼノンが提唱した運動の不可思議に関するパラドックスであり、足の速いアキレスはどんなに頑張って走っても、自分より先に出発した鈍足の亀に追いつくことができないというもの。なぜならアキレスが亀が今いる所まで辿り着いた時、亀はそれより少し先まで行っている。アキレスがその地点まで行った時には、亀はまた更にその少し先まで行っている。アキレスがその地点まで行った時には、亀はまた更にその少し先まで行っている。アキレスがその地点まで行った時には、亀はまた更にその少し先まで行っている・・・ということで、アキレスは永久に亀に追いつけないのである。
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そして私の時間認識と言えば、知的冒険エッセイ 第
664回 「風景の物語」 で簡略に述べたように、時間は人間の内なる意識世界には存在する(保証される)が、外なる宇宙自然界には存在しない(保証されない)というものであり、さらには
「Pairpole
宇宙モデル」 では時間の流れとは人間の意識波の波動速度であって、それは光速度であるとした。
物理学における最も基本的な理論であるとされる、シュレジンガーの「波動理論」では方程式の中に波動関数という関数が登場し、この関数を収縮させるものは「観測」であるとする。観測は「計測」であり、究極まで還元すると「認識」に至る。
今回の実験は、いうなれば近代物理学が遅かれ早かれ、いずれは至る、避けては通れない「急所」に来たことを証する事件なのである。しかして問題の核心をひとことで言えば、人間意識をもって現実をどう理解しどう認識するかという「観測問題」に帰着する。 |
2011.9.30 |
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