Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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物質と意識の狭間(3)〜発見か発明か
 閑話休題。本題に戻って「真理は発見されるのか ・・ それとも発明されるのか ・・?」の探求である。
 科学哲学エッセイ「時空の旅」(平成 6年 9月18日 初版第1刷発行)で描かれた「自然は芸術を模倣する(第890回)」で萌芽した「物質と意識の狭間」の課題は、本稿の「知的冒険エッセイ」では「物質に意識が宿るのか ・・ それとも意識に物質が宿るのか ・・?」という少し形を変えた問いで始まった。それはまた科学哲学エッセイ「Pairpole」(平成11年2月28日初版第1刷発行)の帰結から導かれたものであった。
 著作「Pairpole」は物質宇宙を探求したものであり、プロローグでの「どうして我々人間だけが自然を、そして宇宙を理解し認識できるのであろうか ・・?」という物理学者、アルベルト・アインシュタイン(ドイツ1879〜1955年)の問いから始まり、エピローグでの「なぜいったい、存在者があるのか、そして、むしろ無があるのではないのか ・・?」という哲学者、マルティン・ハイデガー(ドイツ1889〜1976年) の問いに終わる思索の旅を描いたものである。
 その思索の旅を引き継いだ「知的冒険エッセイ」で描かれた「物質と意識の狭間」に関する代表的な素描を以下に抽出する。
意識に物質が宿る(第184回) / 2002.8.27
科学的宇宙と哲学的宇宙(第280回) / 2003.2.06
現象と心象の境界(第373回) / 2003.11.13
 そこで描かれた世界とは物質宇宙を統御する自然法則(理論)が意識宇宙においても見事に等価的に成立するという不可思議な風景である。 それはまさに「自然は芸術を模倣する」ことの証を眺めるようであった。 そこでは「物質に意識が宿るのか ・・ それとも意識に物質が宿るのか ・・?」の問いは、さらに姿形を変えて「意識が物質を発生させるのか ・・ それとも物質が意識を発生させるのか ・・?」というより根本的な問いに還元されている。 ここまでくると冒頭に掲げた「真理は発見されるのか ・・ それとも発明されるのか ・・?」まではあと1歩である。
 著作「Pairpole」は宇宙の内蔵秩序としての根源的対称性を描いたものでもあるが、それは宇宙の万物事象が対称に構成されているとする「予見」にもとづいている。 かかる予見からすれば対称に構成された物質世界と意識世界を統御する法則(理論)が一致することは理の当然であろう。 わかりやすく表現すれば「貴方が眺める物質世界は貴方が想う意識世界そのものであり、貴方が想う意識世界は貴方が眺める物質世界そのものである」ということである。 さらに還元すれば「物質世界は意識世界の鏡像であり、意識世界は物質世界の鏡像である」ということである。
 この帰結からすれば「自然は芸術を模倣する」といい、「物質に意識が宿るのか ・・ それとも意識に物質が宿るのか ・・?」といい、「意識が物質を発生させるのか ・・ それとも物質が意識を発生させるのか ・・?」といい、何の変哲なき日常茶飯の出来事のように観えてくる。 それはまた「真理は発見されるのか ・・ それとも発明されるのか ・・?」においてもまたしかりである。
 これで課題は解決したかにみえるがそうはならない。重要な視点が欠落しているのである。「真理は発見されるのか ・・ それとも発明されるのか ・・?」をさらに観察すれば「主語」が抜け落ちていることに想到する。つまり、「誰が真理を発見するのか ・・ そして誰が真理を発明するのか ・・?」という現象の主体者のことである。 言わずもがな、それは我々「人間」である。 すべては「人間あっての問題」なのである。
 物質と意識の狭間に介在する「根源的原因」とは空間でも時間でもなく「人間そのもの」である。
物質と意識の狭間(4)〜他我問題 / 第892回 へ続く

2015.08.20

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