Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知のワンダーランドをゆく〜知的冒険エッセイから
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意識の二重性
 現代人が社会システムの構成要素部品であるなどと考えることは、大きな間違いである。確かに、現代人は弥生時代以降の「機能」と「コスト」の価値観だけで生きているように見えてはいるが、突如として縄文時代以前の「情意」の価値観が、蘇るとも限らない。
 「一寸の虫にも五分の魂」という諺が、この情意蘇生の例を示す。前項で述べた、カオス理論によれば、この片隅の情意が地球全体の社会システムに大洪水を引き起こすかもしれないのである。
 物質が「粒子性」と「波動性」の二重性をもつことは、現代物理学が語るところである。物質は粒子であるとともに、波動でもある。重要なポイントは、この「二重性が同時には目撃されない」ということである。粒子性を観測した瞬間に、波動性は消え、波動性を観測した瞬間に、粒子性は消えてしまう。
 意識にも「感情」と「理性」という二重性がある。この意識の二重性も、物質の二重性と同様に、同時に顕現することはない。感情が顕れた瞬間に、理性は消え、理性が顕れた瞬間に、感情は消える。
 還元すれば、「感情は波動性」をもち、「理性は粒子性」をもつ。
 より分かりやすい例で述べれば、感情は池の中の波のごとく、宇宙の全域に広がる性質をもち、理性はその池の中に波を発生させた原因である、一個の石に相当する性質をもつ。感情は宇宙全体に緩やかに広がり、理性は宇宙の一点を強く打つのである。
 物質の二重性と同様に、感情をもって理性を捉えることはできず、また理性をもって感情を捉えることはできない。換言すれば、感情をもって理性を説明することができず、また理性をもって感情を説明することはできない。言えることは、一枚の紙の表裏の構図と同じ、表は裏の反対、裏は表の反対という「Pairpole構造」だけである。
 人間の生活行動は、感情と理性の意識の二重性に支配されている。この二重性を同時に混合させると、人間行動は二律背反に陥る。ある時は感情で、またある時は理性で、というように個別に意識しなければならないのである。これを怠ると、人間は「情」と「理」の狭間で悶々として、一歩も行動できない状態に陥る。理性は宇宙の一点を強く打つ粒子性であり、感情はその一点から宇宙全域へ緩やかに広がって行く波動性であることを忘れてはならない。
 現代人は思いという感情が脆弱化しており、全てを考えという理性で対処しようとする。これでは宇宙全域に自己意識を広げることはできない。宇宙のあちこちを強く打ってみても、その打撃が波動性に転換されなければ、宇宙全域への波及はないのである。
 縄文土器や土偶をよくよく鑑賞すれば、縄文人の意識が宇宙全域に、波動のごとく緩やかに広がっていることが直観されるであろう。
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