この強力な武器は、使用する人間がおかれた、それぞれの自己保存本能の状況により、千変万化する。知恵で武装した100人の人間がいれば、その知恵の働かせ方により、100通りの闘いが顕現する。自己の保存本能を正当化することが、人間の本質であるが、その自己を正当化する知恵の、どれが善であり、どれが悪であるか、決定することは不可能である。利己的遺伝子とは、まさに言い得て妙である。結局、この闘いでの善悪の基準は、100人の自己保存本能による、妥協の産物となり、世の人々は、これを常識と呼び、また社会倫理と呼んでいるのである。
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