Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知のワンダーランドをゆく〜知的冒険エッセイから
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形態共鳴仮説に思う
 多能性幹細胞(STAP細胞)の成否が巷間を騒がせている。STAP細胞の製作に成功したというニュースに聞いたとき私はあることを想起した。それはイギリスの天才科学者シェルドレイクが提唱した「形態共鳴仮説」についてである。形態共鳴仮説(シェルドレイク仮説)とは、現在において自然に存在する生物の特徴的な形と行動や物理と化学のあらゆるシステムの形態が過去に存在した同じような形態の存在の影響を受けて、過去と同じような形態を継承することを述べている。それは「形の場」による「形の共鳴」と呼ばれるプロセスによっているというものである。
著書「 Pairpole 」に記述した「過去との共鳴」の節を以下に抜粋
 1983年、イギリスのテレビ局によって、ひとつの注目すべき公開実験がなされた。それは「シェルドレイク仮説」の真偽を確かめるものであり、およそ次のようなものであった。
 ふたつのパズル絵(だまし絵)がこの実験のために特別に描かれた。ひとつは帽子をかぶった婦人の顔であり、もうひとつはヒゲを生やした男の顔であった。まずこのパズル絵をブラウン管に映し出す。しばらくして解答図を映す。そしてそれが初めのパズル絵としだいに重なるように映しだし、誰もがパズル絵に隠された絵を認識できるようにする。この番組を約200万人の視聴者が見た。ところが、このテレビ放映の約1ヶ月前、このふたつのパズル絵は、このテレビ番組が放映されないアイルランド、ヨーロッパ、アフリカ、そしてアメリカの実験協力者に送られており、テレビ放映の2〜3日前と2〜3日後にパズル絵の認識実験が行われた。テストを受ける人たちは同じようなグループが対象とされ、また実験協力者はみな、前述のテレビ放映を見ないことにした。実際にテレビ番組で使用された絵はヒゲの男の顔のほうであったが、イギリスにいるシェルドレイクはもちろん、他国にいる実験協力者も知らない。結果はきわめて明確に出た。放映されなかった帽子の婦人の顔の方はテレビ放映の前後で、その中に隠された絵を認識した人の数に大きな差は出なかったが、放映されたヒゲの男の顔の方はテレビ放映の前後で隠された絵を認識した人の数が2倍にもなったのである。
 このテレビ公開実験の結果が何を物語っているのかは明白である。ひとたび多くの人々によって認識されたパズル絵の中の絵柄は「シェルドレイク仮説」の予想通り、他の人々にも認識されやすくなったということである。
 これらの現象は自然界の中でさまざまに観測される。例えば、ダイナマイトの原料であるグリセリンは結晶化がなされないとされていたが、ある日、ひとつの樽の中で結晶化がなされるや世界中のグリセリンがこの日を境に結晶化しだした。
 これらの作用は時空間を越えて、他の系に影響を及ぼす。その場を「形態形成場(形の場)」と呼び、その影響を「形態共鳴(形の共鳴)」と呼ぶ。この作用の影響はあらゆるシステムに及ぶ。荒唐無稽ともいえるこの仮説は、「形成的因果作用の仮説」として、今世界的に認められつつある。
 「形の場」とは非エネルギ的な情報の詰め込まれた場である。その中で「形の共鳴」が作用する。そして、システムとシステムの間にどんな空間的、時間的隔たりがあろうとも、そこに起きる形の共鳴の強さは減じられない。そして、過去に存在したシステムの形がその後現れるシステムの形に影響を与える仕方を、彼は「共鳴」という物理学的概念で説明する。それは振動数の同じ音叉の一方をたたいた時に、近くにあるもう一方の音叉が共鳴して鳴り出すようなものであるとする。この共鳴はたたいて発生させた音の振動数と、もう一方の置いてあるだけの音叉の固有振動数がピッタリ一致するためであるが、この共鳴はエネルギが一方から一方に伝達される「エネルギ共鳴」である。だが、「形の共鳴」はいっさいのエネルギ伝達は行われない。これが通常の共鳴現象と大きく違う点である。
 「シェルドレイク仮説」を要約すると、現在において自然に存在する生物の特徴的な形と行動や物理と化学のあらゆるシステムの形態は「形の場」による「形の共鳴」と呼ばれるべきプロセスによって導かれる。「形の場」がいったんできあがると、それは時間と空間を超えて、これから発生する生物や物理と化学のシステムに影響を与え、過去に形成されたと同様な生物やシステムの形を組織化し、再現させようとする。 要するに「今あるものが今のような形をしているのは過去に同じ形のものがそのように存在した」からである。
 「シェルドレイク仮説」は、非決定的な部分をもつ個体の発生という大局的な現象ではいつも必然的、決定的となるのはなぜかを説明した点にある。それは「形の場」がけっして受動的なものではなく、積極的に他へ働きかける性質をもっているということである。雪山の斜面を滑り降りるスキーヤーは前に滑り降りたスキーヤーの描いたシュプールによる「形の場」によって、そのシュプールをなぞるように強制されているというわけである。
 シェルドレイクの説は当然のことながら物質還元主義の学者からは非難の的である。物質還元主義者はこれらの現象は遺伝子DNAや原子で充分に説明できるのであり、シェルドレイクの説は世を惑わす邪説であるときめつけている。
 ただ、現代理論物理学の先駆者であるデビット・ボームがシェルドレイクの説を支持した。ボームはアインシュタインが量子論学者に投げかけたEPRパラドックスで量子のスピンを測るという考え方をもち出したことでも有名である。前述したごとく、この測定において時空間を超えて2個の量子は遠隔作用を及ぼすことが明らかになった。ボームはこのような時空間を超えて作用する量子の相関関係とシェルドレイクのいう「形の共鳴」が時空間を超えて非エネルギ的に作用するという点が類似しているというのである。ボームは「明在系と暗在系」という2つの構造により、宇宙が構成されていると説明する。一般的人間が認識し理解できる世界を明在系と呼び、認識し理解できない世界を暗在系と呼ぶ。宇宙に明在する物の各部分に宇宙に暗在する物のすべての情報が内蔵されていると考えたのである。それは「内蔵秩序」と呼ばれ、宇宙の各部分は全宇宙に現存するすべての情報をその中に含んでいることを述べている。私の言う「細部は全体、全体は細部」という考えである。一種のフラクタル(入れ子)構造理論である。 例えば、植物の種子を見ればそれは単なる小さな粒である。しかし、それが土にまかれると根が生え茎が伸び葉が出てやがてその植物の形を我々の前に現す。種子の中に内蔵されていた情報が我々にわかる形に象出してくるのである。つまり、明在する種子だけを見たとき、この植物の形は暗在しているのである。これと同じように宇宙の各部分には宇宙全体の情報が内蔵されているのである。 我々は時間を過去、現在、未来というように分離して考える。しかし、ボームのようにひとつの全体的宇宙を考えるならば、時間も過去、現在、未来のように分断された断片ではなく、ひとつの宇宙的時間の中で、その断片どうしは互いに相関していることになる。シェルドレイクは生物その他あらゆる現在のシステムは過去からの同種のシステムの「形の共鳴」の作用のもとに存在すると言っているのであり、それはボームの言う、宇宙の全体性、つまり、「内蔵秩序」のある一側面を語っているものと位置づけられるのである。
 今日の量子論では過去の現在への影響について説明することができない。量子力学は限られたある一瞬だけを扱い、それを観測するのみである。ボームは現在という瞬間が宇宙全体の「投影(プロジェクション)」であるという考え方で量子力学における時間に関する不足部分を補おうとした。宇宙全体の中に包みこまれていた何かの局面が現在という瞬間に開かれ、その刹那にその局面が現在になるというのである。そして次の瞬間も同じように全体の中に包み込まれていたもうひとつの局面が開かれるというように考える。
 ここで重要なことは、ボームがそれぞれの瞬間は前の瞬間と似ていて、しかも違っていると主張していることである。これについてボームは「注入(インジェクション)」という言葉を使って説明している。つまり、現在という瞬間は全体の「投影」であり、投影された現在は次の瞬間には全体の中に逆に「注入」され返す。ゆえに全体に戻ってきた前の瞬間の性質が次の瞬間に全体から投影される局面に一部含まれることになる。これにより前の瞬間と次の瞬間の現在との間に因果性が発生する。
 これは浜辺にうち寄せる波のごとくである。我々は現在という浜辺に立っている。海は宇宙の全体であり、すべての秩序が内蔵されている。しかし、我々はその姿、形を漠として知覚はできない。その全体宇宙から刹那刹那に波が押し寄せてくる。その波がうち寄せることで我々は波を現実に知覚でき宇宙の存在を実感する。しかし、いったん浜辺にうち寄せた波は再び全体宇宙へと戻っていく。そのときには、いったん浜辺にうち寄せたことで現実の世界に現した形の情報とともに全体宇宙に戻っていく。ゆえに全体宇宙にその情報が含まれることになるのである。そして、その情報は次に全体宇宙から投影されて浜辺にうち寄せる波の形などに影響を与える。彼は全体の投影である一刹那を考え、その一刹那が運動であるととらえる。その全体からの投影こそが事物の実在化であるとする。その実在化の刹那が継続することにより、時間軸が発生し、我々が認識できる確固たる実在となる。
 要するに、すべてがそこから生み出される「可能性の海」のような宇宙があり、そこから刻々と現在に向けて、事物が我々が認識できるような形に実在化してくる。その時に過去の形が、現在の形に影響を及ぼすということなのである。
 科学者であるシェルドレイクやボーアの仮説はまさに心理学者フロイトの「潜在意識」やユングの「集団的無意識」、しいてはそれから発現する「共時性」の説明を聞くかのように類似している。それはまるで客観的な科学が人間意識による心理学のようであるかの錯覚を覚える。物質的宇宙と意識・心的宇宙は別々に存在するのか、はたまた一体的に存在するのか。宇宙は二元論で説明できるのか、それとも一元論なのか。それはまた古来からの哲学的テーマである「唯物論」と「唯識論」の対比でもあるのか。「我思う、ゆえに我在り」なのか、それとも「我在り、ゆえに我思う」のか。ここまで歩んで来て、とうとう人類はこの難問を突破する段階に到達した。今や確固たる大地は浮遊し、時空間はゆらいでいる。その「ゆらぎの彼方」に、人類の英知は何を見いだすのか、大いなる期待がかけられるところである。
− 科学哲学エッセイ「 Pairpole 」 平成11年2月28日初版第1刷 −
 STAP細胞の製作に成功したというニュースを聞いたとき、私は「謎の訪問者」で、それは「瓢箪から駒」を地でいくような出来事であり、大きな発見とは人知を越えて何方からやって来る「謎の訪問者」のようである。理由はわからないが、それは「現れる」のである。と感想を書いた。その背景にあったものは上記した「形態共鳴仮説」への思いであった。
 形態共鳴仮説を単純化して述べれば、猿には迷惑な話ながら、世界のどこかで一匹の猿がバナナの皮をむいて食べ出すと、その後は世界中の猿が同じようにバナナの皮をむきだすような現象である。同様になかなか突破できなかったさまざまな記録も、ある日「誰かが」ひとたび突破すると、その後はいとたやすく、次々と突破する者が登場する。また夜店が雇ったひとりの「さくら」がある品物を買うと、その後、周りにいた群衆が次々にその品物を買いだす。例えは悪いが、ひとたび「おれおれ詐偽」が成功すると、次々とこの種の詐偽が横行する。これらの現象の裏には形態共鳴仮説が作用しているのかもしれない。
 もし「形態共鳴仮説」が正しいとすれば、話題の「STAP細胞の製作」についても、今後は次々に成功するであろうし、成功していなかったとすれば、今後しばらくは成功しないことになる。もっとも多能性幹細胞の製作は「iPS細胞」ですでに成功しているわけであるから、今後は方法は異なっても、必ずや種々の多能性幹細胞が世に現れるであろう。
 世に偉大な行為とは初めにバナナの皮をむいて食べた一匹の猿にある。彼の発見こそ賞賛されてしかるべきである。
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