芭蕉が感じた寂寥感はまた映画のロケ地を訪れたときに感じる寂寥感に相似する。かくなる寂寥感の本質とはドラマを演じた役者(登場人物)が消え去っても、舞台だけはそのまま変わらずにそこに存在している公正無比なる事実によって引き起こされた茫漠たる哀感であろう。だが人はその茫漠たる哀感の中で、1対1で歴史と、あるいはドラマと、めぐり逢う機会が与えられる。時空の彼方へ消え去った役者(登場人物)を、再び「刹那の舞台」に蘇らせることが可能となるのである。芭蕉は義経、弁慶を目の前にして語ることができたのであり、同様に我々もまたドラマの主人公と直に逢って話すことができるのである。そのためには舞台となった現場(ロケ地等)を訪れるまえに、史実であれば事績をよく知る必要があり、ドラマであれば何回も見る必要がある。
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