鎌倉仏教を支えた彼らが目指したものとは浄土世界に行くその方法の確立であった。その中から念仏が登場したのであるが、念仏には「観想念仏」と「口称念仏」と呼ばれる2つの方法がある。観想念仏とは極楽浄土の世界を心の中で思い描き、主である「阿弥陀様の姿をありありと想像する」ことである。口称念仏とは文字どおり口に出して「阿弥陀様お願いしますと強く言う」ことである。観想念仏は瞑想に近く、精神の集中と意識の鍛錬を必要とし、凡夫の方法としてははなはだ難しい方法である。それに比して口称念仏は「南無阿弥陀仏」と声に出して唱えればよく、婦女子、凡夫をもってしても容易に可能な方法である。法然の偉大さはあらゆる民衆をもれなく救おうとするその比類無き高い精神性にある。そのためには誰もができる口称念仏を極楽往生への唯一の方法として凝縮させ、それを支える確固たる宗教体系を確立させたのである。それすなわち「浄土宗」である。
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