歴史作家、司馬遼太郎氏は「時代のエネルギに乗ってやって来る者にはかなわない」と、その箴言集に書いている。そして、時代は常に、その時代エネルギの奔流に乗ってやって来た者によって開かれるのである。一方、いつの時代も一般民衆は、この時代エネルギの奔流に翻弄されるだけのはかない存在であるが、いかなる時代においても、その中で「けなげに」、そして「しぶとく」生き抜いた人々がいたことも、歴史は同時に記述している。時代エネルギの奔流をコントロールできないまでも、少なくともそのエネルギを味方にすれば「負けない戦」は可能である。時代の混乱エネルギとは、換言すればその混乱に遭遇した人々が発する意識エネルギの総量であり、それはとりもなおさず「ディオニュソス的な混沌の意識エネルギ」である。
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