未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知のワンダーランドをゆく〜知的冒険エッセイから
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時空の巡り逢い
現実空間は唯識論の「阿頼耶識」や、デビット・ボームの「暗在系」や、ユングの「集団的無意識」から象出した刹那の宇宙である。この刹那宇宙には過去も未来もなく、ただ現在のみの世界である。
「阿頼耶識」、「暗在系」、「集団的無意識」という、言うなれば「無の世界」から、ある種の「縁(えにし)」によって投影された、かげろうのごとくに頼りなくゆらいでいる「あれとこれ」が、「有の世界」であるこの世に「世界物語」を構築している。この世界物語が実在としての「今の世界」である。
この世界に象出した「あれとこれ」には過去の記憶も未来の記憶もなく、ただこの虚空にキラキラとリフレクトする「無常の存在」である。「あれとこれ」はかってどこかで出逢っていたのかもしれないし、また再びどこかで出逢うかもしれない。
世界物語は哀憐で、はかない「あれとこれ」の巡り逢いである。 私はこの世界物語を構築する「あれとこれ」の巡り逢いを、「時空の巡り逢い」と表現している。
人生はいつも、「それではまた、いつかどこかで ・・」という別れの言葉になる。楽しき語らいも、ともに眺めた美しい風景も、苦しい活動も、格闘も ・・ いつしか時が流れ、やがて、「それではまた、いつかどこかで ・・」という刹那に行き着く。
言葉のように、またいつかどこかで逢うこともあろうし、二度と逢わないこともあろう。時空の巡り逢いとは、いつもこのように、「また、いつかどこかで ・・」という言葉とともに時空の狭間に紛れ込み、また再び、いつかどこかに回帰してくる。時空は不死鳥のごとく再起し、再生し、蘇る。宇宙のもつ最も偉大なエネルギである。
文 /
柳沢 健
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