千曲高原という高原があることは今まで知らなかった。麻績から聖高原を越えて善光寺平に抜ける道は幾度となく通っているのだが気にとめられることはなかった。聖湖を通過し峠を越えてしばらく走ったところから本道と分岐し、聖高原の裏側に回り込んだあたりが千曲高原であった。高原の中央に大池が静かに横たわっている。さしもこの季節の訪問客などよほどの物好き以外にいるはずもない。撮影を始めてしばらくは寒風も凪いで遠くに野鳥の声も聞こえていたが、やがて山頂から吹き下ろされた雪が強風にあおられて横殴りにほほを襲ってきた。かような風景を撮影する意味がどこにあるのか考えないわけではないが、陽光に包まれた春の自然も、緑に彩られた夏の自然も、かく蕭条たる冬の自然も、「自然の素顔」には違いはないのであるから、分け隔てることはできないのである。
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