幾度訪れてもこの地が今のところ浅間山を眺めるに最高のビュースポットであると納得させられる。
今のところと条件を付けたのは新幹線が走るこの地は今や東京からの通勤圏となり早晩カラフルな住宅が建ち並ぶこと必定であるからに他ならない。
文豪、島崎藤村が逍遙し 「 ・・ 暮れ行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛 ・・ 」 と詠ったのはここらあたりではなかったか
・・。 藤村は明治32年、小諸義塾の英語教師として長野県北佐久郡小諸町に赴任、以後6年間過ごしている。 歳で言えば27歳から33歳頃にあたる。
明治は遠くなりにけりの感慨しきりである。
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