| 私の見る世界の視野に、私自身の眼は含まれない。
私の眼はながめる世界の視野の限界に位置しているというときの限界とは、世界を眺めている私自身の 「眼」 である。 この限界(境界)の両側には、いったい
「何が」 あるのか? この限界(境界)の向こう側は、物質を主役とする 「現象世界」 であり、限界のこちら側は、意識を主役とする
「心象世界」 であり、その境界面(限界面)に、私自身の 「眼」 が位置している。 換言すれば、物質と意識の 「Pairpoleの狭間」
に私自身の 「眼」 が位置している。 解りやすく表現するために 「眼」 という肉体的器官を用いているが、哲学的表現をすれば、それは
「自己」 と言っても良いし、「自我」 と言っても良い。 つまり、私という自己は、物質で構成された現象世界と、意識で構成された心象世界の接点(限界点)に存在している。
私という 「自己の外」 に構築されている現象世界は科学の方法論で分析され、記述され、認識され、その中核は物理学である。 私という
「自己の内」 に構築されている心象世界は哲学の方法論で分析され、記述され、認識され、その中核 は心理学である。 私という自己の役割は、外に広がった現象世界と、内に広がった心象世界を繋げることで、ひとつの宇宙を構成することにある。
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