Linear ベストエッセイセレクション
多世界宇宙解釈〜分岐する宇宙
Turn
 
二重スリット実験
 リチャード・ファインマンが 「量子力学の精髄」 と呼んだ 「二重スリット実験」 は宇宙の量子論的解釈の始まりとなった画期的実験である。 19世紀初頭に行われたヤングのスリット実験は 「光の波動説」 を決定づけ、量子力学が発展した20世紀になると、電子のような粒子を用いた二重スリット実験が行われ、量子力学の基礎である 「波動と粒子の二重性」 が明らかにされた。
 物質が粒子と波の両方の性質を見せることで奇妙な結果が生じる。 光子や電子を次々に2つのスリットに発射する。 粒子であれば、そのうちのどちらか1つのスリットを通過するはずである。 だが、光子や電子はそのどちらのスリットもすり抜け干渉縞をつくる。 この干渉縞は光子や電子が波の性質をもっている証拠なのである。
 
平行宇宙
 「平行宇宙」 はアメリカ、プリンストン大学の大学院生であったヒュー・エヴェレットが1957年に提唱したのが最初である。 それは量子力学の観測問題を解決しようとする研究の中から生まれた。 彼は上記した 「スリット実験」 の結果を解釈するにおいて、光子や電子はスリットではなく 「宇宙を選択する」 のだと考えたのである。 どちらか一方のスリットを選択することで、宇宙はふたつに分かれる。 スリットの選択次第で、我々がどちらの宇宙にいるのかが決まる。 その時点で宇宙はふたつに分かれ、観測が行われるたびに、次々に平行宇宙へと分岐し続ける。 彼の着想の要点は、宇宙そのものがすべての可能な結果を含む波動関数によって語られるということである。 無数の平行宇宙が、それぞれ独立して存在していることになる。 観測者が測定を行うたびに、数えきれないほどの数の 「新しい宇宙」 が生み出されるとともに、そのひとつ、ひとつが、それぞれ異なる可能な観測結果を表している。
 「シュレジンガーの猫」 と呼ばれる思考実験を例にして考えれば、生きた猫と、死んだ猫の世界が同時に共存する。 ここでは波動関数の収縮は起こらない。 新しい宇宙がどんどん増えていくだけである。 この考えは、9世紀頃のイスラム教の思弁神学、カラーム派の教えに似ているという。 それによれば、何か出来事が起こるたびに、世界は新しく生まれるというのである。 エヴェレットが提唱した多世界解釈(平行宇宙)は、外部の観測者の必要性を取り去ってくれたことで、多くの宇宙論学者に支持された。 これは重要なことで、もし意識をもとにした波動関数の収縮が、ネズミの観測や酔っぱらいの観測では起きないという 「ウィグナーの解釈」 が正しいとすれば、宇宙創生において波動関数を収縮させることのできる唯一の観測者は 「神」 だということになる。 しかし、外部の観測者を必要性としないエヴェレットの多世界解釈にも問題がないわけではない。 それは観測過程のいかなる点が世界を分岐させるのかについて何も説明してくれないことである。
 
経路積分
 リチャード・ファインマンは微視的世界から巨視的世界へと移るにつれて、量子力学による説明が無理なくニュートン力学による説明へと変化することを示した。 「スリット実験」 における彼の説明によれば、光子や電子などの量子粒子は発射源と蛍光板の到達点の間で、ありとあらゆる可能な道筋、あるいは軌跡を試そうとする。 微粒子は波長が長いために水の波の干渉のように蛍光板上に干渉縞状の到達点の確率分布を示す。 だが粒子の質量が大きい野球のボールともなれば、ニュートン力学が述べる道筋以外のいかなる軌跡でも相殺干渉が起こることを示している。
 量子論では電子がどこに到達するかを 「予測」 することはできない。 それは電子がある点に到達する 「確率」 を示すだけである。 言えることは、電子を1個蛍光板に向けて発射したならば、蛍光板上の多くの点で閃光が現れる可能性である。 だが確率は測定が行われることで事実に変わる。 電子がある点で発見されたが最後、それがほかの場所で見つかる確率はゼロになる。 何度も何度も実験を繰り返して初めて、確率分布が意味のあるものとなり干渉縞が形成されるのである。 つまり、電子が蛍光板に衝突する前に、その所在を尋ねることはできない。 したがって次ぎのような結論に至る。
 電子は何らかの方法で、空間と時間全体に広がっており、蛍光板に衝突する前は、まったく 「でたらめな方法」 で2つのスリットを通り抜け、自分自身と干渉しあっている。 電子は同時にすべての場所に存在し、かつどこにも存在しない。 事が起こるたびに 「世界は新しく生まれる」 というのである。
 従来の量子力学で電子の未来のふるまいを予測しようとすれば、実験が始まる時点における電子の運動量やエネルギといった情報(初期状態)が、実験が終わる時点におけるそれらの情報(終期状態)がどうなったのかを計算するか、少なくともある特定の終期状態に達する確率を計算する必要があった。 そのためには微分方程式を解かなくてはならなかったのであるが、ファインマンが考え出した方法では、この微分方程式を解く必要性がなかった。
 「経路積分」 とは、電子が初期状態から終期状態までにたどる可能性がある 「すべての経路」 を、あるルールに従って足し合わせるというものであった。 従来のニュートン力学の世界では、素粒子は、われわれの日常世界での物体がそうであるように 「決まった経路を通る」 とされていた。 しかし、量子世界では、電子は宇宙を踊るように飛び回っているのであって、それ以外の経路についても考慮しなくてはならないのである。 電子が宇宙の彼方まで旅したり、時間的にジグザグにさかのぼったり、進んだりする経路を無視するわけにはいかないのである。 これらの経路をたどると、自然は何の制御も受けず、通常のルートを無視しているように見えるのである。 ファインマンは 「いろいろな出来事を時間の順序で並べるのは的はずれであって、すべての経路を加算すれば実験者が観察する最終的な量子状態に至っている」 と主張した。
 ファインマンの方法は極端で、ばかげているように見えた。 我々には時間と空間について、断固とした考え方があり、時間は過去から現在、そして未来へと進むものなのである。 だがファインマンに言わせれば、そのような 「ルールに縛られない自由なプロセスにこそ秩序がある」 というのである。 だがファインマンの主張は、当時の物理学者にとっては理解しがたく、また受け入れがたいものであった。 さらにファインマンが経路を合算するために導入した 「経路積分」 と呼ばれる手法は、数学的には証明されてなかったし、時にあいまいでもあった。 また独自の理論に答えを引き出すために図を使う方法(今日ではファインマン・ダイアグラムと呼ばれている)は、生まれて初めて見るようなしろものだった。 彼らは証明を要求した。 その証明とは、考えを式で表すことから始めて、その式を数学的に導いてみせてくれというのだが、ファインマンの手法は、「直観」 と 「推論」 と 「試行錯誤」 から作り出されたものであって、証明はできなかった。 1948年に開かれた会議でこの手法を発表したファインマンは、ボーア(デンマーク1885〜1962)やディラック(英国1902〜1984)のような当時の物理学界の重鎮から容赦なく攻撃された。
 だが結局。 彼らもファインマンという存在を無視できなかったのである。 これまでなら何ヶ月もかかった理論上の計算を、ファインマンは30分で解いてみせたりしたからである。 やがて登場した若き物理学者、フリーマン・ダイソン(米国1923〜)が、その一般性を示したことで、徐々にファインマンの手法が利用されるようになっていったのである。 ファインマンの 「経路積分」 という考え方は、エヴェレット(米国1930〜1982)が1957年に提唱した 「平行宇宙」 の考え方と表裏の関係にある。 ファインマンの経路積分は、別名 「歴史総和法」 とも呼ばれている。
 
 「出来事を時間の順序で並べるのは的はずれである」 というファインマンの主張は 「過去・現在・未来と連続する線形時間は存在しない」 とする私の主張と一致する。 私の主張の意味するところは 「過去と未来は現在に含まれていて」 その中から 「ある過去」 が 「ある未来」 が今の今である現在としての現実空間に象出するというものであり、それらがたどる運動軌跡は紙や意識のキャンパスに描くことはできても実在としての現実空間に描くことはできないというものである。 他方、ファインマンの主張の意味するところを私なりに解釈すれば 「可能なすべての過去と未来を加算すれば我々が眺める現在に至る」 ということであり、過去・現在・未来で構成される 「線形時間は的はずれ」 であって、それに縛られない 「自由なプロセス」 こそが 「秩序である」 ということである。
 
その他の多世界宇宙解釈
 旧ソ連に生まれ、動物園の夜間警備員などのアルバイトをしながら物理学を学び、その後アメリカに移住して宇宙論研究に取り組んでいる アレックス・ビレンケン は、「無からのトンネル効果」 で宇宙が発生するという 「多世界インフレーション宇宙論」 を提唱している。 著作の中で彼は ・・ すなわち、宇宙は無限であると同時に有限、進化しているのに静的、永遠でありながら始まりがある ・・ さらに、私たちの地球とまったく同じ惑星が遠く離れたどこかの領域にあり、そこでは地球と同じ海岸線と地勢を持つ大陸があり、私たちのクローンを含めて地球と同じ生き物が住んでいて、このように同じ話をしている ・・ と述べている。 また車椅子の天才物理学者、イギリスのスティーヴン・ホーキングは、マザー・ユニバースからチャイルド・ユニバースが 「泡沫」 のように生まれる過程を示したうえで 「宇宙はわれわれの宇宙だけではない」 と述べている。
 
 近年、平行宇宙は 「パラレルワールド」 として小説や、SF映画にしばしば登場、身近に語られるようになったが、その実在感は 「タイムマシン」 ほどに希薄である。 だが世界の先端的物理学者は大真面目でその存在を信じている。 上記の 「スリット実験」 はこの世と呼ばれる現実世界にひょっこりと顔を出した 「多世界宇宙の断片」 である。 その断片の記述は量子と呼ばれる超ミクロの宇宙風景であるが、我々が今目にする現実世界がビックバンと呼ばれる超々ミクロの1点から始まったことを考えれば、記述された量子世界の胎動を、現実の宇宙風景に置きかえることに、何ら不都合は生じないであろう。 つまり、目に見える風景だけが実在ではなく、多くの実在はその裏側に隠されているのである。

2024.06.12


copyright © Squarenet