心理学者、ユングが提起した共時性における現実世界に現れる事象のありえない確率とは、何を意味しているのであろうか?
以下は私が遭遇した共時性についての 「体験談」 である。 遭遇したこれらの出来事は、たんなる 「偶然である」 と言ってしまえばそれまでである。
だが私には偶然を超えた 「必然である」 ようにみえるのである。
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遡る20数年前のことである。 私はスイスの 「ラインの滝」〜ドイツ(旧東ドイツ)の
「ライプチヒ」〜北イタリアの 「トリノ」 を訪れた。 帰国してから共時性の提唱者である心理学者ユングが 「ラインの滝」 の近くで育ち、哲学者ニーチェが
「ライプチヒ」 で生まれ育ち、「トリノ」 で精神崩壊に至って亡くなっていることを知った。 私がそれらの地を訪れたのは、仕事でのことであって、ユングやニーチェを目的としたものではない。
ラインの滝はドイツのシュトゥットガルトから車で国境を越えたスイスのシャフハウゼンという小さな町での商談のためであったし、ライプチヒは工作機械工場での、そしてトリノはフィアットの自動車工場での技術説明会のためであった。
客先の要望に応じて計画された1回の出張で、その後になされる知的探求課題にとって重要な意味をもつ 「これらの地」 のすべてに訪れる確率は、ありえないほどに小さなものであったはずである。
だが、かくこのように現実として起きるのである。 そこにはいまだ解明されていない 「何らかの理」 があることを物語っている。
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遡る20数年前のことである。 私は軽井沢にある
「セゾン現代美術館」 を訪れた。 軽井沢特有の深閑とした森の中にたたずむ瀟洒な美術館である。 その際、通路に置かれた 「ある彫刻像」
に興味をひかれた。 それは白い等身大の石膏像、4体で構成され、街中の舗道で織りなされた 「ワンカット」 を切り取ったかのような作品であった。
前面に立つ2人の男は何やらひそひそと話をしているようであり、後ろのベンチに座った女2人はそれには無関心を装って会話に夢中といったような場面である。
この彫刻像は 「いったい何を語っている」 のであろうか? 興味はそこであった。 それから2日ほどして、私は居住する松本市の市街に位置するとある書店で1冊の本を買った。
哲学者、大森荘蔵の 「時間と存在」 である。 帰宅して読み出したところで、私は唖然としてしまった。 その第2章、幾何学と運動、第3項、空間と幾何学に、その彫刻像について記述されているではないか。
その作品の作者は、アメリカのジョージ・シーガルであり、作品名は、ゲイ・リベレーションであった。 意図なくふらりと訪れた軽井沢の美術館で興味にひかれて眺めた作品が、直後に、これまた意図なく訪れた松本市の書店でふと手にした哲学書の中に顕れる確率とはいったいいかなるものか? 数学的に計算すれば、ほとんどありえない程に希少な確率であろう。
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「カダケス」 はスペイン、カタルーニャ州、ジローナ県、地中海に面するクレウス岬半島近郊の湾に位置する小さな村である。
超現実主義(シュルレアリスム)を代表する画家、サルバドール・ダリの故郷でもある。 ダリは奇妙な夢の中のようなイメージの印象的な組み合わせが特徴で、数々の奇行や逸話でも知られている。
無からのトンネル効果で宇宙が発生するという 「多世界インフレーション宇宙論」 を構築したアレックス・ビレンケンと共同研究者のジョーム・ギャリガは
「2000年夏」、この村を訪れ、狭い玉石通りを歩きながら論の構想を練った ・・ それはすなわち、宇宙は無限であると同時に有限、進化しているのに静的、永遠でありながら始まりがある
・・ さらに、私たちの地球とまったく同じ惑星が遠く離れたどこかの領域にあり、そこでは地球と同じ海岸線と地勢を持つ大陸があり、私たちのクローンを含めて地球と同じ生き物が住んでいて、このように同じ話をしている
・・。 彼らがこの村を訪れたのはほんの偶然であったのだが、私にはそれらは偶然ではなく、不可思議な共時性に導かれて、この地に参集したように思われる。
時を同じくその 「2000年夏」、私は笹倉鉄平が描いた 「カダケス」 を購入して事務所の壁に飾った。 もちろんカダケスの絵画に魅入られた当時、上記したダリのことも、ビレンケンのことも、私はまったく知らなかったことはいうまでもない。
そしてその 「カダケス」 は今、嫁いだ娘のダイニングの壁を飾っている。
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(※)アレックス・ビレンケン
タフツ大学の物理学教授。 「永久インフレーション」 と呼ばれる宇宙モデルや、「無からの宇宙創生」 を提唱したことで世界的に知られている。
旧ソ連に生まれ、動物園の夜間警備員などのアルバイトをしながら物理学を学んだ。 1976年に米国に移住して博士号を取得した。
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とある日、私は紅葉を撮影するため上信越自動車道を新潟県妙高市に位置する妙高高原を目指していた。
その時、車内では、どうしてそうなったかは今となれば定かではないが、マーク・トウェインの 「トムソーヤ」 の話になった。 トムソーヤの話などは数十年近くしたことがない。
そしてようよう到着した妙高高原、池ノ平温泉スキー場のゲレンデにカメラを据えて振り向くと、そこには 「トムソーヤ」 と大書きされた看板を掲げたレストランが建っていた。
スキーシーズンのみ開業する店のようである。 意図なく始まったトムソーヤの話の直後に、意図なく訪れた高原にあるレストラン 「トムソーヤ」
に遭遇する確率とはいったいいかほどになるのであろうか?
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とある日、私は撮影の途上で長野県東筑摩郡麻績村にある法善寺に立ち寄った。
その時に法善寺が信濃三十三観音札所めぐりの 「1番札所」 であることを初めて知った。 それから2ヶ月ほどして、今度は三重塔を撮影すべく長野県上水内郡小川村にある高山寺を訪れた。
そこで、あろうことか、その高山寺が信濃三十三観音札所めぐりの 「33番札所(結願札所)」 であることを知った。 意図なく、続けて、訪れた寺が信濃三十三観音札所の寺であり、かつその
「1番札所」 と 「33番札所」 であることの確率とはいったいいかほどになるのであろうか?
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以上の体験談から明らかなように、共時性との遭遇には
「空間的な場所」 が深く関わっている。 その場所には未知なる世界につながる時空トンネル(ワームホール)が開口しているかのようである。
それはまた、日本人ノーベル賞学者、江崎玲於奈博士が発見した江崎ダイオードの 「トンネル効果」 のようではないか。 「トンネル効果」
とは、量子の世界で起きる現象で、壁に投げたボールは壁を通り抜けて向こう側に飛んでいくことはないが、電子や陽子といった非常に小さな物質である量子の世界では、一定の確率で壁を通り抜ける現象が起きるのである。
江崎博士はこの効果を使って、超高速でオン・オフ切替可能なダイオード(江崎ダイオード)を発見したのである。 共時性とは、あるいはかくなる
「トンネル効果のような現象」 なのかもしれない。 私は機械メカニズムの研究開発を生業としてきたが、幾度か共時性と遭遇することで、課題解決に向けての
「啓示」 を受けてきた。 その 「場所」 とは、あるときは、何気なく車を運転していた 「トンネルの出口」 であったり、またあるときは、「閑静な街路樹の並木道」
であったりした。 ふりかえれば、そこに 「未知なる世界への扉」 が開かれていたことになる。
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