線形時間とは、時間が 「過去→現在→未来」 と連続して流れるという時間概念である。 私がこの線形時間を廃棄した理由は、均質な時間が不連続で異質な
「記憶としての過去(意識世界)」→「実在としての現在(物質世界)」→「想像としての未来(意識世界)」 を貫いて連続して流れるとする動向を相当な妥当性をもって納得することができなかったからに他ならない。
現在は運動をともなった物質で構成された実在世界(実の世界)であって、意識で構成された仮想世界(虚の世界)とは本質的に異なっている。
均質な時間が異質な 「虚の世界」 と 「実の世界」 を貫いて流れていることなど如何なる妥当性をもって理解したらよいのであろう。
考え得る妥当性は、過去を 「過去の実在」 と考え、現在を 「今の今の実在」 と考え、未来を 「未来の実在」 と考え、かくなる実在を貫いて時間が流れているとする考えであろうが、現在の実在はともかく、過去の実在や未来の実在などいったい
「どこに存在する」 というのであろう。 確定することができない。
|